をもってしても、いつも貧しい暮らしをして不仕合わせな境遇にある、この国のおびただしい男女学生に比べて、実際的にも知的にも断然頭角をあらわしていた。両都の学生たちは、たいてい朝から晩まで、各種の新聞雑誌の編集室へ、お百度を踏みながら、相も変わらぬ仏文の翻訳だとか筆耕の口だとかを、あとからあとからと懇願する以外には、なんのいい思案も浮かばないのである。あちこちの編集部と近づきになると、イワン・フョードロヴィッチはその後も、ずっと関係を絶たずに、大学を終わるころにはいろんな専門的な書物に関するきわめて才能のある批評を掲載し始めたため、文学者仲間のあいだにまで有名になった。もっとも、偶然にも彼がずっと広範囲の読書に特別な注意をよび起こして、非常に多くの人から一時に認められ、記憶されるようになったのは、つい最近のことである。それはかなりに興味のある出来事であった。すでに大学を卒業して、例の二千ルーブルの金で外国行きを企てているうちに、イワン・フョードロヴィッチは突然ある大新聞に一つの奇妙な論文を載せて、専門外の人の注意まで引いたのであるが、なかんずくその題材が博物科を卒業した彼にとっては全く縁の
前へ
次へ
全844ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中山 省三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング