ら二千ルーブルにも殖《ふ》えた。自分の子供の時分からの金が、この国ではなんともしようのないいろんな形式や、手続きの渋滞のおかげで容易に受け取ることができず、そのために、彼は大学における最初の二年間というもの、かなりひどい苦労をした。彼はこの間じゅう、自活の道を立てながら、同時に勉強をしなければならなかった。ところが、そのころの彼が、父と手紙のやりとりをしてみようとさえも考えなかったということは注意しておく必要がある。おそらく、傲慢《ごうまん》な気持、父に対する軽蔑の念によるものであろう、それとも、父からほんのわずかでもまじめな援助を受ける望みのないことを教える冷静な、はっきりした判断力によったのかもしれぬ。それはともかくとして、青年は少しもまごつかずに、やっとのことで、仕事にありついた。最初のうちは一回二十カペイカの出張教授をやっていたが、のちには、あちこちの新聞の編集者のところを駆けずり回って、『目撃者』という署名のもとに、市井の出来事についての十行記事を寄稿したりした。この小さい記事は、いつも、なかなかおもしろく、辛辣《しんらつ》だったので、たちまち評判になったという。彼はこの一事
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