ヴィッチと喧嘩《けんか》までして、彼女をかばっていたことである。ある時などは、家へ集まって乱痴気騒ぎをしている蓮《はす》っ葉《ぱ》な女どもを、腕づくで一人残らず追い払ったほどであった。その後、子供のころから絶えずおびえてばかりいたこの不仕合せな若い女は、一種の婦人神経病にかかった。それは田舎の百姓女などに実によく見られる病気で、この病気にかかった女は『憑《つ》かれた女』と呼ばれていた。恐ろしいヒステリイの発作を伴うこの病気のために、病人は時として理性をさえ失うことがあった。とはいえ、彼女はフョードル・パーヴロヴィッチとのあいだに、イワンとアレクセイの二人の子をもうけた。上のほうは結婚の年に、下のほうは三年たってからであった。彼女が亡くなったとき、アレクセイは四つになっていたが、彼は不思議なことには、一生を通じて、もとより、夢のようなものではあったが、よく母親のことを覚えていた。母が亡くなってから二人の子供は、長男ミーチャの場合とほとんどそっくりそのままの運命に陥った。すなわち、二人は父親からすっかり忘れられ、見すてられて、やはり同じグレゴリイの手にかかって、下男小屋へ引き取られたのであ
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