が、ここに異なるところは、わが国には国法で定められた裁判の他に教会というものがあって、なんといってもやはり可愛い大切な息子じゃ、という風に犯罪者を眺めて、いついかなる場合にも交渉を断たぬことにしておる。なおそのうえに、思想的なもので、今は実際的なものでないにしても、未来のためにたとえ空想の中にでも生きている教会裁判なるものが保存されておって、これが疑いなく犯人によって本能的に認められておるのじゃ。ただいまのお話もまことにもっともなことですじゃ。つまり、もし教会裁判が実現されて、完全な力を行使する時が来たなら、すなわち全社会が教会そのものになってしまったならば、単に社会が罪人の匡正《きょうせい》に、かつてそのためしのなかった影響を及ぼすばかりでなく、事実、犯罪そのものの数も異常なる割合をもって減少するじゃろう。疑いもなく教会は未来の犯罪者ならびに未来の犯罪をば、多くの場合、今とはまるで別な目をもって見るに至るじゃろう。そして追放された者を呼び戻し、悪だくみをいだく者を未然にいましめ、堕落した者を更正させることができるに違いない。実のところ、」とここで長老は微笑を浮かべた。「いまキリスト教
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