。もうあれを見ることはできません。あれの声を聞くことはできません……」
 彼女はふところから小さな組紐の、わが子の帯を取り出したが、それを一目見ると、両手で顔をおおって、身を震わせながら泣きくずれた。そして不意にほとばしり出た涙は指のあいだを伝って流れるのであった。
「ああそれは」と長老が言った、「それは昔の『ラケルわが子らを思い嘆きて慰むことを得ず。なんとなれば子らは有らざればなり』とあるのと同じじゃ。それがそなたたち母親のために置かれた地上の隔てなのじゃ。ああ慰められぬがよい、慰められることはいらぬ。慰められずに泣くがよい。ただ、泣くたびごとにたゆまず、そなたの息子は神様の御使いの一人となって、天国からそなたを見おろし、そなたの涙を見て喜んで、それを神様に指さしておるということを、忘れぬように思い出すがよい。そなたの母としての大きな嘆きはまだ長く続くけれど、やがてはそれが静かな喜びとなり、その苦い涙も静かな感動の涙と変わって、罪障を払い心を清めるよすがとなるだろう。そなたの子供に回向《えこう》をして進ぜようが、名まえはなんといったのじゃな?」
「アレクセイでございます。神父様」

前へ 次へ
全844ページ中133ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中山 省三郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング