りであった。この僧房へ通される人はたいてい誰でも、非常な恩恵を施されたような心持で、ここへはいって来るのであった。多くの者はいったんひざまずくと、初めから終わりまで、その膝《ひざ》を上げることができなかった。単なる好奇心か、またはその他の動機によってたずねて来る『上流の』人たちや、最も博学多才な人々のみならず、過激な思想をいだいた人たちですら、他の者と同席か、または差し向かいの対面を許されて、この僧房の中へはいって来ると、すべて一人残らず、会見の初めから終わりまで深い尊敬を示し、細心の注意を払うのを、第一の義務と心得るのであった。そのうえ、ここでは金銭というものは少しも問題にならず、一方からは愛と慈悲、他方からは懺悔《ざんげ》と渇望――自己の心霊上の困難な問題、もしくは自己の心内の生活の困難な瞬間を解決しようという渇望が存在するばかりであった。それゆえ、今フョードル・パーヴロヴィッチが場所柄もわきまえずにさらけ出した、こうしたふざけた態度は、同席の人々、少なくともその中のある者に、疑惑と驚愕《きょうがく》の念をよび起こした。それでも二人の僧は少しも表情を変えず、まじめな心構えで、長老が
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