この土を見すてようとしているのです。僕がどんなにこの人と精神的に結びついているか、それがあなたにわかってくださったらなあ! あなたにわかってくださったらなあ! しかも、僕は今、たった一人でとり残されようとしているのです……僕はあなたのところへ来ますとも、リーズさん。これからさきいっしょにいることにしようね……」
「ええ、いっしょにね、いっしょにね! これから一生涯いつもいっしょにいましょうね。ちょっと、わたしを接吻してくださらない、わたし許すわ」
アリョーシャは彼女を接吻した。
「さあ、もういらっしゃい、では、御機嫌よう!(彼女は十字を切った)。早く生きていられるうちにあのかた[#「あのかた」に傍点]のところに行っておあげなさい。わたしすっかりあなたを引き止めてしまったわね。今わたし、あの人とあなたのためにお祈りすることにするわ。アリョーシャ、わたしたちは幸福でいましょうね? ね、幸福になれますわね?」
「なれますとも、リーズさん」
リーズの部屋を出たアリョーシャは、母夫人のところへ寄らないほうがよいと思ったので、夫人には別れの挨拶をしないで家を出ようとした。だが、戸をあけて階段の口へ出るやいなや、どこから来たのか、当のホフラーコワ夫人が眼の前に控えていた。最初のひとことを聞くと同時に、アリョーシャは、彼女がわざとここで待ち受けていたのであることを悟った。
「アレクセイさん、なんて恐ろしいことでしょうね。あれは子供らしいばかげたことですわ、無意味なことですわ、あなたはつまらないことを空想なさらないだろうと思って、わたしそれを当てにしていますのよ……ばかげたことですわ、ばかげたことですわ、全くばかげたことですわ!」と夫人は彼に食ってかかった。
「ただね、お願いしておきます、あの人にはそんなこと言わないようにしてくださいよ」とアリョーシャは言った。「でないと、あの人はまた興奮しますよ、今もあの人の体にとって、それがいちばんいけないことなのですからね」
「分別のある若いおかたの、分別のある御意見、確かに承知しましたわ。あなたが今あの子のことばに同意なすったのも、たぶんあの子の病的な体のぐあいに同情してくだすって、逆らいだてしてあの子をいらいらさせまいとのお心づかいからだったのですか、そう解釈してよろしゅうございますね?」
「いいえ、それは違います、まるで違います。僕は、まじめにあの人と話したのですよ」とアリョーシャはきっぱり言った。
「こんな場合、まじめな話なんてあり得ないことですわ、考えることもできないことですわ。何よりまず、わたしこれからはもうけっしてあなたに家へ来ていただきたくないの。第二に、わたしはあの子を連れてこの町を立ってしまいますから、そのおつもりで」
「どうしてまた」とアリョーシャは言った。「だってあの話はまだずっと先のことでしょう、まだ一年半から待たなくちゃならないんですからね」
「そりゃあね、アレクセイさん、それに違いありませんけどね、その一年半のあいだに、あなたとリーズは幾千度となく、喧嘩したり別れたりなさるわ。けれど、わたしは言いようのないほど不仕合わせな女なのですからね。みんなばかばかしいことには相違ありませんが、それにしても、びっくりしてしまいました。今わたしはちょうど大詰めの幕のファームソフ(「知恵の悲しみ」の人形)のようでございます。そしてあなたがチャーツキイ、あの子がソフィヤの役割でございます。おまけにまあどうしたというのでしょうね、わたしがあなたをお待ち受けしようと思って、わざわざこの階段のとこへ来てみると、ちょうどそこへあの芝居の大切な場面が何から何までみんな階段の上で起こってるじゃありませんか。わたしはすっかり聞いてしまいましたが、本当にじっとその場に立っていられないくらいでしたの。昨夜の恐ろしい熱病だって、さっきのヒステリイだって、もとはといえば、みんなここにあるのですもの! 娘の恋は母親の死です。もう棺《かん》にでもはいってしまいそうですよ。ああ、それからもう一つ用事がありました。これがいちばん大事なことなんですの。あの子が差し上げたとかいう手紙、いったいどんなのですか、ちょっと見せてください、今ここで!」
「いいえ、そんな必要はありません、それよりカテリーナさんの容体はどうなんです、僕それが聞きたくてたまらないのです」
「やっぱりうなされながら寝てらっしゃいます。まだお気がつかれないんですよ。伯母さんたちは来ていても、ただ吐息をついて、わたしに威張りちらすばかりなんですからね。ヘルツェンシュトゥベも来るには来ましたが、もうすっかりびっくりしてしまって、かえって、あのかたのほうへ手当てをしてあげたり、介抱したりするのにあたし見当がつかなくて困ったくらいなんです。別の医者でも迎えにやろう
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