ネぜと申すに、もしもそうでなかったならば、ここへ来るいわれはないわけですからの。自分は俗世間の誰よりも劣るということばかりではなく、自分はあらゆる人々の前に、万事につけて、いっさいの罪、あらゆる人類の罪、世界の罪、個人の罪に対して義務を負うていると自覚した暁には、われわれの隠棲《いんせい》の目的が達せられるというものです。つまり、なんです、われわれは一人一人、疑いもなく、この世のあらゆる人々に対して、罪があるからです。しかも、一般に世界的罪悪というものによってではなく、この世のあらゆる人間、すべての個人に対して、一人一人が個人的に罪があるからです。この自覚は何も僧侶ばかりではなく、地上のすべての人のふむべき最高の道なのです。すなわち、僧侶は何も特殊な人ではなく、ただ単に、この世の誰しもが当然かくあるべきはずの道をゆくだけのものですからの。かくてこそ、われわれの心は、はじめて限りなく、宇宙的な、飽くことを知らぬ愛に感激するものです。そのときこそ、あなたがたはめいめいに愛によって全世界を征服し、涙をもって世界の罪を洗い去ることができるでしょう……。誰もが自分の心をいましめて、絶えずおのれに懺悔をなさるがよい。おのれの罪を恐れずに、罪を感じたときにも、ただ悔い改めて、けっして神に誓いをかけてはなりませぬ。くり返して言うようですが――けっして高ぶってはなりません。小さな者に対してばかりでなく、大きな者に対しても高ぶるものではありません。またこちらを排斥するもの、侮辱《ぶじょく》するもの、誹謗《ひぼう》するもの、中傷するものをも憎んではなりません。無神論者、悪の伝道者、物質論者をも、その中の善良な者のみではなく、邪悪な者をすらも憎んではなりません。なんとなれば、そういう人たちの中にも、善良な人はたくさんいるのじゃから、ことに今のような時世にはな。だからこういう人たちのために祈っておやりなされ、『主よ、誰にも祈ってもらえぬあらゆる人たちを救いたまえ。御身に祈ることを欲せざる者をも救いたまえ』と。それからそこで付け加えてください、『主よ、わがかかることを祈るは高慢のためではござりませぬ。わが身みずからも、誰にもまして忌まわしい者でござりますから……』と、どうか神の子を愛してください。羊の群れを外来の者に奪わせるようなことがあってはなりませんぞ。もしもなまけていたり、思いあがっていたり、なおはなはだしきは貪欲《どんよく》の果てに居眠りでもしていたら、四方八方から、あさましいやつどもがやって来て、羊の群れを奪って行くのですからの。どうか人民どもに、たゆむことなく福音を説いてやってください……。彼らから高利をむさぼるようなことがあってはなりません……。金銀を愛して、これをたくわえたりしてはなりません……。神を信じて、信仰の旗をしっかと握っていてください。高くこれを振りかざすように……」
それにしても、長老のことばは、ここに記したよりも、すなわち、アリョーシャが後に書きとどめたよりも、ずっと切れ切れなものであった。どうかすると、彼は力を集中するかのように、すっかりことばをとぎらせて、喘《あえ》いだりしていたが、しかもなお、法悦に浸っているかのようであった。人々は感激しながら耳を傾けていた。もっとも、多くの者は、彼のことばに驚いて、そこに暗澹《あんたん》たるものを認めていた……。アリョーシャはたまたま、庵室をほんのちょっとのあいだ離れたとき、庵室の中と、庵室のあたりに集まっていた僧侶たちが一様に興奮して、近づきつつあるものを待ち受けている様《さま》にいまさらながら驚いた。この期待は、ある人たちのあいだではほとんど不安に近く、またある人たちにとっては厳粛なものであった。誰も彼も、長老が瞑目《めいもく》するとただちに何かしら大きなことが起こるだろうと期待していたのである。この期待は一方からみるとほとんど軽はずみなものとも考えられたが、いとも厳格な主教たちさえも、この考えにおそわれていた。中で最もいかめしい顔をしているのはパイーシイ主教であった。アリョーシャが庵室を出たのは、町から帰って来たラキーチンが、一人の僧を通じて、こっそり呼び出したからであった。ラキーチンはアリョーシャに当てたホフラーコワ夫人の奇怪な手紙を携えていたのである。夫人はアリョーシャに一つの興味のある、いかにもこの場合にふさわしい消息を伝えていた。事件というのは、昨日、長老に謁見して、祝福するためにやって来た平民の女の信者の中に、町の者でプローホロヴナという下士官の妻がいたことであった。彼女は長老に向かって、ワーセンカという息子が、遠くシベリヤのイルクーツクへ勤めに行ったが、もう一年ほども、何一つ便りがないから、死んだ者として、教会でそのあとを弔ってもよいだろうかと尋ねた。この質問に対
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