オて、長老は厳粛な面持ちで、はっきりわかりもしないのに供養をするなどとは、もってのほかのことだととどめて、かようなしわざは魔術にもひとしいものだと言った。が、そのあとで、長老はお婆さんの無知からきたことだと許してやって、『まるで未来記でも見ているかのように』(ホフラーコワ夫人の手紙のことばによる)、慰めて、『おまえの息子のワーシャは間違いなく生きている。だから近々のうちに母親のところへ帰って来るか、手紙をよこすに相違ない。まず、おまえも自宅へ帰って、それを待っていたらよい』と付け足した。『ところが、どうでしょう?』とホフラーコワ夫人は感激して付け加えている、『予言は文字どおりに、それどころか、それ以上に的中したのです』お婆さんがわが家へ帰ったかと思うと、もうシベリアから待ちに待っていた便りを渡された。しかも、そればかりではなく、ワーシャは途中、エカテリンブルグからよこしたこの手紙の中で、自分がいま、ある役人といっしょに、ロシア内地へ帰途の途上にあること、この手紙をお母さんが受け取ってから三週間すると、『お母さんを抱きしめることができるでしょう』などと書いてよこしていた。
 ホフラーコワ夫人はここに新しく実現された『予言の奇跡』をすぐに修道院長やその他一同の者に伝えてくれとアリョーシャに熱心に頼んで、『このことは誰も彼も、みんなに知っていてもらわなければなりません!』と、手紙の終わりで、詠嘆していた。手紙は走り書きで、一行一行に筆者の興奮が感ぜられた。しかし、アリョーシャは仲間の人たちに話すことは少しもしなかった。というのは、みんながこのことを知っていたからである。ラキーチンは彼を呼び出すようにと僧侶に頼んだとき、『ラキーチンがぜひともお話いたしたいことがあり、しかも非常に大事なことで、一刻も報告を猶予することができないものだと、パイーシイ主教様に申し上げて、かようなぶしつけなことを幾重にもお詫び申し上げる』との言づてを頼んだ。ところが、この坊さんはラキーチンの頼みをアリョーシャに伝える前にパイーシイ主教に伝えたので、アリョーシャは元の席に帰ったとき、ただパイーシイ主教に手紙を読んで聞かせ、ほんの記録として報告するほかに、なすことがなかった、ところが、この峻厳《しゅんげん》にして、容易に人を信用しない僧侶でさえもが、『奇跡』の消息を読むと、苦い顔をして、心の中のある種の感情を全く押えることができなかったのである。彼の眼は輝き、唇はもったいぶって、熱中しているように、急にほほえみを浮かべた。
「われわれもそんなことを見るだろうか?」と彼はうっかりしていたらしく、不意に口をすべらした。
「われわれもこれからそんなことを見るのだろうか、そんなことを!」と周囲にいた僧侶たちもくり返したが、パイーシイ主教はまたもや苦い顔をして、一同の者に、――もうしばらくこのことは誰にも言わないでもらいたい、『もっと、はっきり事実がわかるまでは、なにしろ、世間の軽はずみなために起こる話はずいぶん多いのだし、それにまた、今度の事件でも、自然こんなことになったかもしれんのだから』と頼んだ。彼はまるで良心に申しわけをするかのように、用心深く付け足したが、自分でもほとんど自分の釈明を信じていなかったのである。このことは、話を聞いていた人々も実によく見抜いていた。もちろん、この『奇跡』は一時間をいでずして、修道院じゅうにも、また、弥撒《ミサ》のために修道院へやって来た世間の人たちの多くにも、知れ渡ってしまった。誰にもまして、この実現された奇跡に心をうたれたのは、極北のオブドルスクの、小さな修道院から、『聖シリヴェストル』の使いで、つい昨日ここの修道院へやって来た僧侶である。
 彼は昨日、ホフラーコワ夫人のわきに立って、長老にお辞儀をすると、『病気のなおった』令嬢を指しながら、長老に向かって、熱心に、『どうしてあなたがたはそんな大胆なことをなさるのです?』と尋ねたものである。
 問題は彼が今、ある種の疑惑に包まれて、何を信じていいのかほとんどわからないというところにあった。昨日、彼はこの修道院のフェラポント長老を、蜜蜂小屋の向こうにある離れの庵室に訪れたが、この会見は彼になみなみならぬ、すさまじい印象を引き起こした。このフェラポント長老はここでの最年長者で、精進と沈黙を守る偉大な苦行者であった(この人のことはすでに長老ゾシマ、ことに長老制度に対する反対者として少しく述べておいたが、彼はこの制度をもって、有害にして軽率な改革だと見なしていた)。彼は沈黙を守って、誰ともほとんどひとことも物を言わなかったが、きわめて危険な反対者であった。彼が危険であったというのは、主として、この寺の多くの僧侶が衷心から彼に同情を寄せ、この寺に来る世間の人たちにも、彼を正真正銘のキ印だと思
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