ですから、だって、あなたは、あんな長い着物を着てらっしゃるんですもの……わたし今でも、それを思うと体じゅうがぞっとしますわ、ですから、はいっていらしても、しばらくはわたしの顔をちっとも御覧にならないで、お母様の方か、窓の方を御覧になってくださいましな……』
『とうとう、わたしあなたに恋ぶみを書いてしまいましたわ、まあ、ほんとになんということをしてしまったのでしょう! アリョーシャ、わたしを軽蔑《けいべつ》しないでちょうだい、もしあたしたいへん悪いことをして、あなたを苦しめているようでしたら、どうぞお許しくださいまし、わたしのたぶん永久に滅びてしまった名誉の秘密は、今あなたの手の中にあるのです』
『わたし今日はきっと泣きますわ、さよなら、恐ろしい[#「恐ろしい」に傍点]再会の時まで、リーズ』
『二伸、アリョーシャ、ただね、きっと、きっと、きっといらしてちょうだいね! リーズ』
 アリョーシャは驚愕《きょうがく》をもって読み終わった。そしてもう一度読み返してしばらく考えていたが、不意に静かな楽しそうなほほえみを漏らした。彼はぎくりと身震いをした。そのほほえみが彼には罪悪のように思われたのである。しかし一瞬の後またもや同じように静かな、幸福そうなほほえみを浮かべるのであった。彼はゆるゆる手紙を封筒へ納めてから、十字を切って、横になった。すると胸さわぎは急にぱったりとやんでしまった。『主よ、さきほどの人たちすべてをあわれみたまえ、あの不幸な、荒れ狂う人たちを救いたまえ、あの人たちを正しい道に導きたまえ、すべての道はあなたの御手のうちにあります。あなたの道をもってあの人たちを救いたまえ、主よ、あなたは愛でいらせられます、あの人たちすべてに喜びを授けたまわらんことを!』アリョーシャはこうつぶやきながら十字を切ると、おだやかな眠りにおちていくのであった。
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 第四篇 破裂


   一 フェラポント長老

 朝まだき、まだ夜のあけないうちにアリョーシャは起こされた。長老は眼をさますと、床を離れて安楽椅子にかけたいと言いだしたが、しかも非常な衰えを感じていた。意識は全く確かで、顔にはかなり疲労の色が浮かんでいたが、晴れ晴れして、ほとんど喜ばしそうにさえもうかがわれた。眼つきは楽しげに愛想よく人をさし招くかのようであった。
「ひょっとしたら、今日一日の寿命がないのかもしれん」と彼はアリョーシャに言った。
 それからすぐに懺悔《ざんげ》をすることと聖餐《せいさん》を受けることを所望した。彼の懺悔を聞く相手はいつもパイーシイ主教であった。この二つの聖秘礼ののち、聖油塗布の式が行なわれた。司祭たちが集まって来て、庵室の中はようやく苦行者たちでいっぱいになった。そのうちに夜が明け離れた。多くの人々が修道院の方からもやって来るようになった。勤行が終わったとき、長老は誰も彼もに別れを告げたいと言って、一人一人に接吻した。庵室が狭いので、先に来た人は、あとから来た人に席をゆずった。アリョーシャはまたもや安楽椅子にすわりなおした長老のわきに立っていた。長老は根気の続く限り説教を続けた。その声は弱々しかったが、まだかなりにしっかりしていた。「わしはな、皆さんもう長年のあいだ、皆さんに説教をしてきました。つまり、長年のあいだ、大きい声で物を言い通したわけです。それで、もうすっかり物を言う癖がついてしまって、今のように弱っているときでも、物を言うよりは黙っているほうがかえってむずかしいくらいになりましたよ」彼は身の回りに寄り集まっている人々を、なつかしげに見回しながら冗談を言うのであった。
 アリョーシャは長老がそのときに言ったことを、多少は覚えていた。長老の話ははっきりとして、その声も、きわめてしっかりしていたが、話そのものはかなりに、とりとめのないものであった。彼はいろんなことを話したが、どうやら、自分の生前に話しきれなかったことを、臨終に際して、もう一度、すっかり言ってしまいたいらしかった。しかも、それはただ単に教訓をするためばかりではなく、自分の喜びや法悦をあらゆる人たちに分かち、さらにまた、生きているうちに自分の真情を吐露したかったのであろう。
「皆さんどうかお互いに愛し合うてください」と長老は説いた(このことはアリョーシャの記憶による)、「また神の子たちを愛してください。われわれがここへまいって、この部屋の中に閉じこもったからといって、俗世間の人たちより清いというわけはありませんのでの、それどころか、ここへまいった者は誰しも、自分が俗世間の誰よりも、またこの世の中の誰よりも劣るのだと認めているはずで……。したがって僧侶《そうりょ》たる者が部屋の中にこれからさき、暮らせば暮らすほど、いっそう痛切にこのことを自覚しなければなりませんのじゃ。
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