孟宗と七面鳥
北原白秋

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)秀《ほ》さき
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 閑雅な孟宗の枯れ色は私にとつて何より親しく感じられる。私は階上の書斎から硝子戸越しに朝夕その眺めを楽しんでゐる。どの窓を眺めても孟宗がしだれてゐる。寒くて風の少ない日などはその揺れる秀《ほ》さきばかりがこまかな光りを反《かへ》してゐる。
 聖ヶ獄にも斑ら雪が残つてゐる。庭の寒枇杷も冷《ひ》えきつてよい。時とすると、思ひもかけず、ちらちらと牡丹雪がふつてくる。さうしたしつとりとした曇り日もうれしい。
 私の家は半潰れのままだが二階だけはどうにか住めるのである。ほとんど廃墟とも云つてよいこの家の生活も住み馴れて見るといよいよに執着が増す。やはりここに落ちついて、しづかな詩作生活に耽らう。
 先達つての再度の大震では、もう潰れることと思つたし、命もないものと観念してゐたが、どうやら無事に済んだ。よくも此の壊れ家が倒れないものである。

 晴れた日には、大概私たちは庭前の小卓で食事をする。時とすると隣の別荘の芝山へ行つて、のびのびと酒を温めたり茶を立てたりする。箱根の連山や相模灘の大景を展望して、私達は食後も日向ぼつこをする。隣の白孔雀のやうな七面鳥が、番ひで、私たちのまはりを求食《あさ》つてあるく。かうした楽しみは壊れ家に住む私たちで無ければ味はへまい。まことに長閑な日常である。
 七面鳥と云へば、つい二三日前、犬に噛み殺されて了つた。まつしろで、実にすがすがしい番ひであつたが、可哀相なことをして了つた。この頃はよく馴れて、私の庭にも遊びに見えた。朝などは入口から傲然と羽根を拡げて、食堂の土間にはいつて来る。すると私たちは椅子から立ち上つて最敬礼をする。『まあまあ、どうぞこちらへ。』

 もひとつをかしい小話がある。東宮殿下の御慶事の朝のことである。私たちも枇杷の木の下の小卓で、つつましい祝杯を挙げた。済んでから坊やだけ地面に坐つて遊んでゐたが、そこへ七面鳥がおそろひで堂堂とやつて来た。伯爵夫人と云つた風である。しばらくすると、坊やが『どうぞ、どうぞ。』と云つてゐる。何をしてゐるのかと、硝子扉から覗いて見ると、坊やはその伯爵様に、仰向いて、しきりに盃をさしつけてゐるのであつた。

 その七面鳥も殺されて了つた。隣の監督さんがその赤い肉を盛つて来た。流石に寂しさう
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