白帝城
北原白秋

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)擁《かか》へて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)時|木菟《みみづく》かと

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数) 
(例)※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1−91−26]たけた

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)よいしよ/\と
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「ほら、あれがお城だよ。」
 私は振り返つた。私の後ろからは円い麦稈帽に金と黒とのリボンをひらひらさして、白茶の背広は濃い花色のネクタイを結んだ、やつと五歳と四ヶ月の幼年紳士がとても潔よく口をへの字に引き緊めて、しかもゆたりゆたりと歩いてゐた。地蔵眉の眼が大きく、汗がぢりぢりとその両の頬に輝いてゐる。
 名鉄の電車を乗り捨てて、差しかかつた白い白い大鉄橋――犬山橋――の鮮かな近代風景の裡《なか》のことである。
 暑い暑い。パナマ帽に黒の上衣は脱いで、擁《かか》へて、ワイシャツの、片手には鶏の首のついたマホガニーの農民美術のステッキをついてゆく、その子の父の私であつた。
「うん、さうか。」
 父と子とはその鉄橋の中ほどで立ち停まると、下手向きの白い欄干に寄り添つて行つた。隆太郎は一生懸命に爪立ち爪立ちした。頤が欄干の上に届かないのだ。
 ちやうど八月四日の正午、しんしんと降る両岸の蝉時雨であつた。
 汪洋たる木曾川の水、雨後の、濁つて凄じく増水した日本ライン、噴き騰る乱雲の層は南から西へ、重畳して、何か底光のする、むしむしと紫に曇つた奇怪な一脈の連峰をさへ現出してゐる。その白金の覆輪がまた何よりも強く眼を射つたのである。その下流の右岸には秀麗な角錐形の山、(それは夕暮富士だと後で聞いたが)山の頂辺に細い縦の裂目のある小松色の山が、白い河洲の緩い彎曲線と程よい近景を成して、遙には暗雲の低迷した、それは恐らく驟雨の最中であるであらうところの伊吹山のあたりまでバックに、ひろびろと霞んだ、うち展けた平野の青田も眺められた。
 その左岸の犬山の城である。

 まことに白帝城は老樹蓊欝たる丘陵の上に現れて、粉壁鮮明である。
 小さな白い三層楼、何と典麗な、しかもまた均斉した、美しい天主閣であらう。この城あ
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