つて初めてこの景勝の大観は生きる。生きた脳髄であり、レンズの焦点である。まつたくかの城こそは日本ラインの白い兜である。
「お城には誰がゐるの。」
「今は誰もゐないんだ。むかしね、兵隊がゐたんだよ。」
私はその子の麦稈帽を軽くたたいた。かの小さな美しい城の白光が果していつまでこの幼い童子の記憶に明り得るであらうか。そしてあの蒼空が、雲の輝きが。
父はまたその子の麦稈帽を二つたたいた。私はひそかに微笑した。「すこし強く叩いて置け。」
私の長男である彼隆太郎は、神経質だが、意志は強さうである。一緒に行く、汽関車に取り附いてでもついて行くと言つてきかないので、止むなく小さなリュックサックを背負はして連れて出たものだが、下りの特急の展望車で、大きな廻転椅子に絵本をひろげてゐた時にもこの子は一個の独自の存在であつた。食堂のテーブルに対ひ合つた僅な時間のひまにも、この子はおぼつかないながら、ナイフとフオクは確に自分の物として、焼きたてのパンや黄色いバタや塩つぱいオムレツの上にのぞんで、決して自分を取り乱さなかつた。箱根の嶮路にかかつて、後部の大きな硝子戸に、汽関車がぴつたりとくつ附き、そのまま轟々と真つ黒い正面をとどろかして押し登つた時にも、それを見たこの子はそれこそひとりで大喜びであつた。その夕方、名古屋の親戚の家の玄関に立つた時にも、別に鼻白みもしなかつた。彼が生れた日にだけしか彼を見なかつたその伯母さんが。
「ほう、おまへが降坊。まあ大きくなりましたね、おお、よく似てゐるわね、うちの子に。ほほほ。」
よくまあお父さんについて来られましたね、と驚いて、その式台で微笑された時にも、この子はうん[#「うん」に傍点]とだけ言つて笑つた。そうして自分で靴をぬぐとすぐに飛び込んで行つた。生みの母に初めて離れて遠い旅に出るこの子の母はよく言つてきかした。「ね、坊や、自分のことはみんな自分でするのですよ。」
だから、その晩にも、彼はひとりで必死になつて上衣を脱いだり、パンツや、シャツの釦をはづしたり、寝衣に著更へたり、帯を結んだり、寝床にころがつたり、眠つたりした。
その翌朝の今日のことである。柳橋駅から犬山橋までの電車の沿線には桑が肥え、梨が実り、青い水田のところどころにはほのかな紅い蓮の花が、「朝」の「八月」の香ひを爽やかな空気と日光との中に漂はしてゐた、さうしたすがすがし
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