から微風《そよかぜ》入れて、
煙草吹かして、夕日を入れて、
知らぬ顔して、さしむかひ、――
下ぢや、ちよいと出す足のさき
ついと外《そら》せばきゆつと蹈む、――
雲のためいき、白帆のといき
河が見えます、市川が。
汽車はゆくゆく、――空飛ぶ鳥の
わしとそなたは何処までも。[#地から3字上げ]四十五年四月
梨の畑
あまり花の白さに
ちよつと接吻《きす》をして見たらば、
梨の木の下に人がゐて、
こちら見ては笑うた。
梨の木の毛虫を
竹ぎれでつつき落し、
つつき落し、
のんびり持つた*喇叭で
受けて廻つては笑うた、
しよざいなやの、
梨の木の畑の
毛虫採のその子。
[#ここから2字下げ]
* 紙製の喇叭見たやうなもの
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]四十五年四月
河岸の雨
雨がふる、緑いろに、銀いろに、さうして薔薇《ばら》いろに、薄黄に、
絹糸のやうな雨がふる、
うつくしい晩ではないか、濡れに濡れた薄あかりの中に、
雨がふる、鉄橋に、町の燈火《あかり》に、水面に、河岸《かし》の柳に。
雨がふる、啜泣きのやうに澄《す》みきつた四月の雨が
二人のこころにふりしきる。
お泣きでない、泣いたつておつつかない、
白い日傘《パラソル》でもおさし、綺麗に雨がふる、寂しい雨が。
雨がふる、憎くらしい憎くらしい、冷《つめ》たい雨が、
水面に空にふりそそぐ、まるで汝《おまへ》の神経のやうに。
薄情なら薄情におし、薄い空気草履の爪先に、
雨がふる、いつそ殺してしまひたいほど憎くらしい汝《おまへ》の髪の毛に。
雨がふる、誰も知らぬ二人の美くしい秘密に
隙間《すきま》もなく悲しい雨がふりしきる。
一寸おきき、何処かで千鳥が鳴く、歇私的里《ヒステリー》の霊《たましひ》、
濡れに濡れた薄あかりの新内。
雨がふる、しみじみとふる雨にうち連れて、雨が、
二人のこころが啜泣く、三味線のやうに、
死にたいつていふの、ほんとにさうならひとりでお死に、
およしな、そんな気まぐれな、嘘《うそ》つぱちは。私《わたし》はいやだ。
雨がふる、緑いろに、銀いろに、さうして薔薇《ばら》色に、薄黄に、
冷たい理性の小雨がふりしきる。
お泣きでない、泣いたつておつつかない、
どうせ薄情な私たちだ、絹糸のやうな雨がふる。
[#地から3字上げ]四十五年五月
そなた待つ間
チヨンキナ、チヨンキナ、
チヨンキナ踊を、
けふの踊をひとをどり。
そなた待つとて、いそいそと、岡を上《のぼ》れば日が廻《まは》る、
雲も草木もうつとりと、
それかあらぬか、わがこころ円《まる》い真赤《まつか》な日が廻《まは》る。
チヨンキナ、チヨンキナ、
チヨンキナ踊を、
岡の草木がひとをどり。
そなた待つとて、ピンのさき池に落せばくるくると、
生きて駈けゆく水すまし、
それかあらぬか、投げ棄てたマニラ煙草の粉《こ》の光。
チヨンキナ、チヨンキナ、
チヨンキナ踊を、
池の面《おもて》がひとをどり。
そなた待つとて、夏帽子投げて坐れば野が光る
ほけた鶯すみればな、
それかあらぬかたんぽぽか、羽蟻飛ぶ飛ぶ、野が光る。
チヨンキナ、チヨンキナ、
チヨンキナ踊を、
楡《にれ》の羽蟻がひとをどり。
そなた待つとて、そはそはと風も吹く吹く、気も廻る。
空に真赤な日も廻る。
それかあらぬか、足音か、胸もそはそは気も廻る。
チヨンキナ、チヨンキナ、
チヨンキナ踊を、
白い日傘がひとをどり。
[#ここから2字下げ]
* チヨンキナの繰返しはやはりチヨンキナの囃子にて歌ふ。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から3字上げ]四十五年五月
薄荷酒
「思ひ出」の頁《ペエジ》に
さかづきひとつうつして、
ちらちらと、こまごまと、
薄荷酒を注《つ》げば、
緑はゆれて、かげのかげ、仄かなわが詩に啜り泣く、
そなたのこころ、薄荷ざけ。
思ふ子の額《ひたひ》に
さかづきそつと透かして、
ほれぼれと、ちらちらと、
薄荷酒をのめば、
緑は沁《し》みて、ゆめのゆめ、黒いその眸《め》に啜り泣く、
わたしのこころ、薄荷ざけ。
[#地から3字上げ]四十五年四月
白い月
わがかなしきソフイーに。
白い月が出た、ソフイー。
出て御覧、ソフイー。
勿忘草《わすれなぐさ》のやうな
あれあの青い空に、ソフイー。
まあ、何《な》んて冷《ひや》つこい
風《かぜ》だらうねえ、
出て御覧、ソフイー。
綺麗だよ、ソフイー。
いま、やつと雨がはれた――
緑いろの広い野原に、
露がきらきらたまつて、
日が薄《うつ》すりと光つてゆく、ソフイー。
さうして電話線の上にね、ソフイー。
びしよ濡れになつた白い小鳥が
まるで三味線のこまのやうに留つて、
つくねんと眺めてゐる、ソフイー。
どうしてあんなに泣いたの、ソフイー。
細《こま》かな雨までが、まだ、
新内のやうにきこえる、ソフイー。
――あの涼しい楡の新芽を御覧。
空いろのあをいそらに、
白い月が出た、ソフイー。
生きのこつた心中の
ちやうど、片われででもあるやうに。
[#地から3字上げ]四十五年四月
芥子の葉
芥子は芥子ゆゑ香もさびし。
ひとが泣かうと、泣くまいと
なんのその葉が知るものぞ。
ひとはひとゆゑ身のほそる、
芥子がちらふとちるまいと、
なんのこの身が知るものぞ。
わたしはわたし、
芥子は芥子、
なんのゆかりもないものを。
[#地から3字上げ]四十五年五月
[#改ページ]
余言
本集名づけて東京景物詩と呼べども、その実は「邪宗門」以後に於けるわが種々雑多の異風の綜合詩集にして、輯むるに殆ど何等の統一なし。ただ何れもわがひと頃の都会趣味をその怪しき主調とせるは興趣相同じ。作品の多数は四十三年「PAN」の盛時に成れるものの如く、且つ又邪宗門系の象徴詩より一転して俗謡の新体を創めたるも概ねその前後なり。なお最近大正の所作はこれに加へず。此集もと昨春或はその前年末にも公にすべかりしも、人生災禍多く些か上梓の時機遅れたるを憾みとす。
東京、東京、その名の何すればしかく哀しく美くしきや。われら今高華なる都会の喧騒より逃れて漸く田園の風光に就く、やさしき粗野と原始的単純はわが前にあり、新生来らんとす。顧みて今復東京のために更に哀別の涙をそそぐ。
大正二年 初夏
[#地から7字上げ]相州三崎にて
[#地から2字上げ]著者識
底本:「白秋全集 3」岩波書店
1985(昭和60)年5月7日発行
※底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目以降が1字下げになっています。
入力:飛鷹美緒
校正:小林繁雄
2009年4月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
北原 白秋 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング