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[#地から3字上げ]四十二年十月

  瞰望

わが瞰望は
ありとあらゆる悲愁《かなしみ》の外に立ちて、
東京の午後四時過ぎの日光と色と音とを怖れたり。

七月の白き真昼、
空気の汚穢《けがれ》うち見るからにあさましく、
いと低き瓦の屋根の一円は卑怯に鈍《にぶ》く黄ばみたれ、
あかあかと屋上園に花置くは雑貨の店か、
(新嘉坡の土の香《か》は莫大小《メリヤス》の香《か》とうち咽ぶ。)
また、青ざめし羽目板《はめいた》の安料理屋の※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]の内、
ただ力なく、女は頸《うなじ》かたむけて髪|梳《くしけづ》る。
(私生児の泣く声は野菜とハムにかき消さる。)
洗濯屋《せんたくや》の下女はその時に物干の段をのぼり了り、
男のにほひ忍びつつ、いろいろのシヤツをひろげたり。

九段下より神田へ出づる大路《おほぢ》には
しきりに急《いそ》ぐ電車をば四十女の酔人《よひどれ》の来て止《とど》めたり。
斜《はす》かひに光りしは童貞の帽子の角《つの》か。

かかる間《ま》も収《をさ》まり難き困憊《こんぱい》はとりとめもなくうち歎《なげ》く。
その湿《し》めらへる声の中

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