サこここに銀の懐中時計《とけい》を閉《し》める音。
けふも彼岸《ひがん》のあかるさに、
誰に見しよとか、権兵衛は
青い手拭、頬かぶり、
桝を小腋《こわき》に、ひえびえと畝《うね》のしめりを踏んでゆく。
畝《うね》の光に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、しをらしさ、……
強い日射《ひざし》のそこここに若いこころの咽《むせ》ぶ音。
ほんに一日《いちにち》齷齪《あくせく》と
歎き足らひで、権兵衛が
青いパツチに縄《なは》の帯、
及び腰してひとすぢに土の臭《にほひ》を嗅《か》いでゆく
午後《ごご》の光に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、なつかしさ。……
黒い鴉《からす》の嘴《くちばし》に種のつぶれてなげく音。
若い身そらの内密事《ないしよごと》、
ひとり苦《く》に病《や》む権兵衛が、
歩みののろさ、手の痛《いた》さ、
腰の痛《いた》みにしみじみと明《あか》き其夜を泣いてゆく。
銀《ぎん》の秘密《ひみつ》に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさやるせなさ。……
常に啄《つ》まれて生れ得ぬ種の、嬰児《あかご》の、なげく音。
妻も子もない醜男《ぶをとこ》の
何時《いつ》も吝嗇《つまし》い権兵衛が
貧《ひん》の盗みか、一擁《ひとかゝ》え
葱を伏せつつ、怖々《こは/″\》と畝《うね》の凸《たか》みを凝視《みつ》めゆく、
伏せたこころに蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさおそろしさ。……
黒い眼玉が背後《うしろ》からぢつと睨んで歩む音。
欲《よく》のつかれか、冷汗《ひやあせ》か、
金が唸《うな》れば権兵衛の
野暮《やぼ》な胸さへしみじみと、
金《きん》の入日の凌雲閣《じふにかい》傷《いた》みながらに蒔いてゆく。
けふの恐怖《おそれ》に蒔く種は
かなしみの種、性《せい》の種、黒稗《くろひえ》の種。
パツチパツチと鳴く虫の
昼のさびしさ、情《なさけ》なさ。……
黒い鴉《からす》につぶされて種の凡《すべて》の滅《き》ゆる音。
[#地から3字上げ]四十三年十月
忠弥
雪はちらちらふりしきる。
城の御濠《おほり》の深みどり、
雪を吸ひ込む舌うちの
しんしんと沁《し》むたそがれに、
鴨の気弱《きよわ》がかきみだす
水の表面《うはべ》のささにごり
知るや知らずや、それとなく
小石投げつけ、――
ひつそりと底のふかさをききすます
わかき忠弥か、わがおもひ。
君が秘密の日くれどき、
ひとり心につきつめて
そつとさぐりを投げつくる
深き恐怖《おそれ》か、わが涙――
千万無量の瞬間《たまゆら》に
雪はちらちらふりしきる。[#地から3字上げ]四十五年十一月
歌うたひ
悲しいけれどもわしや男、
いやでもお酒をさがしませう、
赤いセエリイもないならば
飲んだふりして就寝《やす》みませう。
みすぎ世すぎの歌うたひ。
[#地から3字上げ]四十三年十一月
槍持
槍は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さ》びても名は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びぬ、
殿《との》につきそふ槍持の槍の穂尖《ほさき》の悲しさよ。
槍は槍持、供揃《ともぞろへ》、
さつと振れ、振れ、白鳥毛。
けふも馬上の寛濶《くわんくわつ》に、
殿は伊達者《だてしや》の美《よ》い男、
三国一の備後様、
しんととろりと見とれる殿御《とのご》。
槍は槍持、銀《ぎん》なんぽ。
供《とも》の奴《やつこ》さへこのやうに、あれわいさの、これわいさの、取りはづす、
やあれ、やれ、危《あぶ》なしやの、槍のさき。
槍は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びても名は※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]びぬ、
殿のお微行《しのび》、近習《きんじゆ》まで
身なりくづした華美《はで》づくし、
槍は九尺の銀なんぽ、
けふも酒、酒、明日《あす》もまた、
通ふしだらの浮気《うはき》づら、
わたる日本橋ちらちらと雪はふるふる、日は暮れる、
やあれ、やれ冷《つめ》たしやの、槍のさき。
槍は槍持、供ぞろへ、
さつと振れ、振れ、白鳥毛。
雪はふれども、ちらほらと
河岸《かし》の問屋の灯《ひ》が見ゆる、
さてもなつかし飛ぶ鴎《かもめ》、
壁のしたには広重《ひろしげ》の紺のぼかしの裾模様、
殿の御容量《ごきりやう》に、ほれぼれと
わたる日本橋、槍のさき、
槍は担《かつ》げど、空《うは》のそら、渋面《しふめん》つくれど供奴《ともやつこ》、
ぴんとはねたる附髭《つけひげ》に、雪はふるふる、日は暮れる。
やあれ、やれ、やるせ
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