賣るという老舖見しごと。
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それから年を經て、私はその瀉《がた》のなかに「ムツゴロ」といふ奇異《ふしぎ》な魚の棲息してゐることを知つた。そうしてその山椒魚《さんしよううを》に似た怪《あや》しい皮膚の、小さなゐもり状《じやう》の一群を恐ろしいもののやうに、覗きに行つた。後には吹矢《ふきや》のさきを二つに割《さ》いて、その眼や頭《あたま》を狙《ねら》つて殺して歩《ある》いたこともある。瀉にはまた「ワラスボ」といふ鰻に似て肌の生赤い斑點《ぶち》のある、ぬるぬるとした靜脈色の魚もゐた。魚といふよりも寧ろ蛇類の癩病にかかつた姿である。「メクワジヤ」と稱する貝は青くて病的な香を發する下等動物である。それを多食する吝嗇《けちんぼ》の女房はよく眼を病んで堀端《ほりばた》で鍋を洗つてゐた。「アゲマキ」という貝は瀟洒な薄黄色の殼《から》のなかに、やはり薄黄色の帽子をつけた片跛《かたちんば》の人間そのままの姿をして滑稽にもセピア色の褌をしめた小さな而して美味な生物である。その貝を捕る女は半切《はんぎり》を片手に引き寄せながら板子を滑らしては面白ろさうに走つてゆく。恰度、夏の入日があかあかと反射する時、私達の手から殘酷に投げ棄てられた黒猫が、黒猫の眼が、ぬるぬると滑り込みながら、もがけばもがくほど粘々《ねばねば》しい瀉の吸盤に吸ひ込まれて、苦しまぎれに斷末魔、爪を掻きちらした一種異樣の恐ろしい粘彩畫の上を、女はまた輕るく走りながらその板を滑らせては光澤《つや》つやと平準《なら》してゆく。さうして汐の靜かにさしてくる日没後の傾斜面は沈着《おちつ》いた紫色の光を帶びて幽かに夕づつのかげを浮べる。かうして瀉の不可思議は私らの幼年時代に取つては實に怪しくも美くしい何かしら深い秘密を秘めた恐怖と光の魔宮であつた。
それは兎もあれ、十六の初旅に小蒸汽や赤い商船のかげに見た門司の海の凄いほど透きわたつた濃藍色はどんなに私をして新しい西洋の香に噎ばしめたであらう。さうしてその翌年長崎旅行の途次汽車の窓から見た大村灣の風光は實にかの繪にのみ見た廣重の海の青さであつた。
8
蛇目傘《じやのめ》を肩にしてキツとなつた定九郎の青い眼つきや、赤い毛布のかげを立つてゆく芝居の死人などに一種の奇妙な恐怖を懷いた三四歳の頃から私の異國趣味乃至異常な氣分に憧がるる心は蕨の花のやうに特殊な縮《ちぢ》れ方をした。
かういふ最初の記憶はウオタアヒアシンスの花の仄かに咲いた瀦水《たまりみづ》の傍《そば》をぶらつきながら、從姉《いとこ》とその背《せな》に負はれてゐた私と、つい見惚《みと》れて一緒に陷《はま》つた――その生命《いのち》の瀬戸際に飄然と現はれて救ひ上げて呉れた眞黒な坊さんが不思議にも幼兒にある忘れがたい印象を殘した。
日が蝕《むしく》ひ、黄色い陰鬱の光のもとにまだ見も知らぬ寂しい鳥がほろほろと鳴き、曼珠沙華のかげを鼬《いたち》が急忙《あわただ》しく横ぎるあとから、あの恐ろしい生膽取は忍んで來る。薄あかりのなかに凝視《みつ》むる小さな銀側時計の怪しい數字に苦蓬《にがよもぎ》の香《にほひ》沁みわたり、右に持つた薄手《うすで》の和蘭皿にはまだ眞赤《まつか》な幼兒の生膽がヒクヒクと息をつく。水門の上を蒼白い月がのぼり、栴檀の葉につやつやと露がたまれば膽《きも》のわななきもはたと靜止して足もとにはちんちろりんが鳴きはじめる。日が暮れるとこの妄想の恐怖《おそれ》は何時《いつ》も小さな幼兒の胸に鋭利な鋏の尖端《さき》を突きつけた。
ある夜はわれとわが靈《たましひ》の姿にも驚かされたことがある。外《そと》には三味線の音《ね》じめも投げやりに、町の娘たちは觀音さまの紅い提燈に結びたての髪を匂はしながら、華やかに肩肌脱ぎの一列《いちれつ》になつてあの淫らな活惚《かつぽれ》を踊つてゐた。取り亂した化粧部屋にはただひとり三歳《みつつ》四歳《よつつ》の私が匍《は》ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11、XXXVII−10]《まは》りながら何ものかを探すやうにいらいらと氣を焦《あせ》つてゐた。ある拍子に、ふと薄暗い鏡の中に私は私の思ひがけない姿に衝突《ぶつつ》かつたのである。鏡に映つた兒どもの、面《つら》には凄いほど眞白《まつしろ》に白粉《おしろひ》を塗《ぬ》つてあつた、睫《まつげ》のみ黒くパツチリと開《ひら》いた兩《ふたつ》の眼の底から恐怖《おそれ》に竦《すく》んだ瞳が生眞面目《きまじめ》に震慄《わなな》いてゐた。さうして見よ、背後《うしろ》から尾をあげ背《せ》を高めた黒猫がただぢつと金《きん》の眼を光らしてゐたではないか。私は悸然《ぎよつ》として泣いた。
私の異國趣味は穉い時既にわが手の中に操《あやつ》られた。菱形の西洋凧を飛ばし、朱色《しゆいろ》の面《めん》(朱色人面の凧、Tonka John の持つてゐたのは直徑一間半ほどあつた。)を裸の酒屋男七八人に揚げさせ、瀝青《チヤン》を作り、幻燈を映し、さうして和蘭訛の小歌を歌つた。
私はまたいろいろの小さなびいどろ罎に薄荷や肉桂水を入れて吸つて歩《ある》いた。また濃《こ》い液は白紙に垂らし、柔かに揉んで濕《しめ》した上その端々《はしばし》を小さく引き裂いては唇にあてた。さうして私の行くところにはたよりない幼兒の涙をそそるやうに、強い肉桂の香が何時《いつ》でも付き纒ふて離れなかつた。
うつし繪の面《おもて》に濕《しめ》つた仄かな油のひほひはまた新らしい七歳の夏を印象せしめる。私はよく汗のついた手首に、その繪の女王や昆虫の彩色を痒《かゆ》いほど押しては貼り、剥《はが》してはそつと貼りつけて、水路の小舟に伊蘇普《いそつぷ》物語の奇《あや》しい頁を飜《か》へした。
無邪氣な惡戲《いたづら》の末、片意地に芝居見を強請《せが》んだ末、弟を泣かした末、私は終日土藏の中に押し込《こ》められて泣き叫んだ。その窓《まど》の下には露草《つゆくさ》の仄かな花が咲いてゐた。哀れな小さい囚人はかうして泣き疲《つか》れたあと、何時《いつ》もその潤《うる》んだ※[#「目+匡」、第3水準1−88−81、XXXVIII−13]《まぶた》に幽かな燐のにほひの沁み入る薄暗い空氣の氣はひを感じた。そこには舊い昔難破した商船から拾ひ上げた阿蘭陀附木《おらんだつけぎ》(マツチのこと、柳河語)の大きな凾が濕《しめ》りに濕つたまま投げ出されてあつた。私はそのひとつを涙に濡れた手で拾ひ取り、さうしてその黄色なエチケツトの帆船航海の圖に怪しい哀れさを感じながら、その一本を拔いては懷《なつ》かしさうに擦《す》つて見た。無論點火する氣づかひはない。氣づかひはないが、たゞ何時までも何時までも同じやうにたゞ擦《す》つてゐたかつたのである。麹室《かうじむろ》のなかによく弄んだ骨牌《カルタ》の女王のなつかしさはいふまでもない。
Tonka John の部屋にはまた生れた以前から舊い油繪の大額が煤けきつたまま土藏づくりの鐵格子窓から薄い光線を受けて、柔かにものの吐息のなかに沈默してゐた。その繪は白いホテルや、瀟洒な外輪船の駛《はし》つてゐる異國の港の風景で、赤い斷層面のかげをゆく和蘭人の一人が新らしいキャベツ畑の垣根に腰をかがめて放尿してゐる、おつとりとした懷かしい風俗を畫いたものであつた。私はそのかげで毎夜美くしい姉上や肥滿《ふと》つた氣の輕るい乳母と一緒に眠るのが常であつた。
頑固で、何時もむつつりした、舊い家から滅多に外へも出た事はなく、流行唄のひとつすら唄へなかつた私の父にも矢張り氣まぐれな道樂はあつた。あの陰氣な稻荷の巫女《みこ》や、天狗使ひや、(A+B)2[#「2」は上付き小文字] ………などの方程式で怪しい占ひをした漂浪者や、護摩《ごま》を焚く琵琶法師やを滯留さしては、いろいろな不思議を信じた行爲の閑暇《ひま》にはまた七面鳥を朱欒《ザボン》のかげに放ち、二三百の白い鉢に牡丹を開かせ、鷄を飼ひ、薔薇を植ゑる事を忘れなかつた。さうして樣々に飽きはてては年毎にその對手を替へた。鷄を鵞に替え、朝顏のために前の薔薇を根こそぎ棄てて了つた。さうして遂にはちゆうまえんだ[#「ちゆうまえんだ」に傍点]に豚小屋まで設けたほど、凡てが投げやりであつた。
私はまた五島平土《ごとうひらど》の船頭衆から長崎や島原の歌も聞いた。年の師走には市が立つてそれらの珍客を載せた大船はいつも四十艘五十艘と港入りした。酒造《さけつくり》のほかに何の物音もしなかつた沖ノ端の街は急に色めき渡つて再び戰《いくさ》のやうな「古問屋《ふつどひや》の師走業《しはすご》」がはじまる。さうしてこの家の舊い習慣として、その前後に催さるる入船出船の酒宴《さかもり》には長崎の紅い三尺手拭を鉢卷にして、琉球節を唄ふ放恣にして素朴な船頭衆のなかに、柳河のしをらしい藝妓や舞子が頑《かた》くななな主人の心まで浮々するやうに三味線を彈き、太皷を敲《たた》いた。その小さい舞子のなかの美くしい一人を Tonka John はまた何となく愛《いと》しいものに思つた。
9
舌出人形の赤い舌を引き拔き、黒い揚羽蝶《あげは》の翅《はね》をむしりちらした心はまたリイダアの版畫の新らしい手觸《てざはり》を知るやうになつた。而してただ九歳以後のさだかならぬ性慾の對象として新奇な書籍――ことに西洋奇談――ほど Tonka John の幼い心を掻き亂したものは無かつた。「埋れ木」のゲザがボオドレエルの「惡の華」をまさぐりながら解《わか》らぬながらもあの怪しい幻想の匂ひに憧がれたといふ同じ幼年の思ひ出のなつかしさよ。
外目《ほかめ》の祖父は雪の日の爐邊に可哀いい沖ノ端の孫を引きよせながら懷かしさうに佛蘭西式調練の小太皷の囃子を歌つて聽かす外にはまだ穉い子供に何らの讀書の權能をも認めて呉れなかつた。當時民友社ものを耽讀してゐた若い叔父はただ「夢想兵衞胡蝶物語」一册しか自由に讀まして呉れぬ。祖父の書架を飾った古い蘭書の黒皮表紙や廣重や北齋乃至草艸紙の見かへしの澁い手觸り、黄表紙、雨月物語、その他樣々の稗史、物語、探偵奇談、佛蘭西革命小説、經國美談、三國志、西遊記等の珍書は羅曼的な兒童の燃えたつ憧憬の情を嗾かして遂にはかの嚴格なる禁斷を犯かさしむるに到つた。
私はよく葡萄棚の下に緑いろの日の光を浴びながら新らしい紙の匂ひに親しみ、赤い柿の實の反射にぼやけた草艸紙の平假名を拾つては百舌《もず》の啼く音《ね》をきき耽つた。私は本のひとつひとつの匂ひや色や手觸の異なる毎にそれぞれ特殊なある感覺の悲しみを嗅ぎわけた。私は梨の木に上つて果實の甘い液にナイフの刄《は》をつける時も、ゐもりの赤い腹を恐れて芝くさのほめきに身をひたす時も、赤《あか》ん谷の婆(母の乳母で髪の白いなつかしい老婆だつた)のところに山桃《やんもも》採りにゆく時にも、絶えず何らかの稗史を手にしないことは無かつた。私はたゞ感動し、昂奮し、あらゆる稚い空想に耽つた。
ある日の午後圓い玉葱の花に黄色い日光が照りつけて、晝の蟲が幽かにパツチパツチと鳴いてゐる時、私はその上の丘の芝生に寢ころびながら初めて自分の身體から沁み出る強い汗の臭を知つた。さうして軟風のいらいらと葱の臭を吹きおくるたびに私はある異常な靈の壓迫を感じた。かういふ日が續いて私は遂に激しい本能の衝動に驅られた。さうしてその日から非常に晝の太陽を恐るるやうになつた。
愈「春の覺醒《めざめ》」の時代が來た。さうして赤い青い書籍の手觸りに全官感を慄かしてゐた私はまたその以外の新らしい世界を發見し得た恐怖《おそれ》と喜びに身も靈も顫はしながら燃えたつ瞳に凡てのものを美くしく苦るしくさうして哀しく、寂しく感じ得るやうになつた。さはいへ、私もまた喜怒哀樂の情の激しい一面に極めて武士的な正義と信實とを尊ぶ清らかな母の手に育てられて、一時は強ひて山羊の血の交じつた怯懦な心に酒を恐れ煙草を惡み、單に懷中鏡を持つてゐたといふ丈けで友人と絶交しかけたほど僞善的な十四の春を迎へた。さうして何時までも女を恐れた。淫らな水郷
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