半ばとなつて菜の花もちりかゝるころには街道のところどころに木蝋を平準《なら》して干す畑が蒼白く光り、さうして狐憑《きつねつき》の女が他愛もなく狂ひ出し、野の隅には粗末な蓆張りの圓天井が造られる。その芝居小屋のかげをゆく馬車の喇叭のなつかしさよ。
さはいへ大麥の花が咲き、からしの花も實《み》となる晩春《ばんしゆん》の名殘惜しさは青くさい芥子の萼《うてな》や新らしい蠶豆《そらまめ》の香ひにいつしかとまたまぎれてゆく。
まだ夏には早い五月の水路《すゐろ》に杉の葉の飾りを取りつけ初めた大きな三神丸《さんじんまる》の一部をふと學校がへりに發見した沖ノ端の子供の喜びは何に譬へよう。艫の方の化粧部屋は蓆《むしろ》で張られ、昔ながらの廢れかけた舟舞臺には櫻の造花を隈なくかざし、欄干の三方に垂らした御簾《みす》は彩色《さいしき》も褪せはてたものではあるが、水天宮の祭日となれば粹な町内の若い衆が紺の半被《はつぴ》に棹さゝれて、幕あひには笛や太鼓や三味線の囃子面白く、町を替ゆるたびに幕を替え、日を替ゆるたびに歌舞伎の藝題《げだい》もとり替えて、同じ水路を上下すること三日三夜、見物は皆あちらこちらの溝渠か
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