つくり》のほかに何の物音もしなかつた沖ノ端の街は急に色めき渡つて再び戰《いくさ》のやうな「古問屋《ふつどひや》の師走業《しはすご》」がはじまる。さうしてこの家の舊い習慣として、その前後に催さるる入船出船の酒宴《さかもり》には長崎の紅い三尺手拭を鉢卷にして、琉球節を唄ふ放恣にして素朴な船頭衆のなかに、柳河のしをらしい藝妓や舞子が頑《かた》くななな主人の心まで浮々するやうに三味線を彈き、太皷を敲《たた》いた。その小さい舞子のなかの美くしい一人を Tonka John はまた何となく愛《いと》しいものに思つた。

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 舌出人形の赤い舌を引き拔き、黒い揚羽蝶《あげは》の翅《はね》をむしりちらした心はまたリイダアの版畫の新らしい手觸《てざはり》を知るやうになつた。而してただ九歳以後のさだかならぬ性慾の對象として新奇な書籍――ことに西洋奇談――ほど Tonka John の幼い心を掻き亂したものは無かつた。「埋れ木」のゲザがボオドレエルの「惡の華」をまさぐりながら解《わか》らぬながらもあの怪しい幻想の匂ひに憧がれたといふ同じ幼年の思ひ出のなつかしさよ。
 外目《ほかめ》の祖父は雪の日の爐
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