て貧《まづ》しい六騎《ロツキユ》の厨裏《くりやうら》に濁つた澱みをつくるのであつた。そのちゆうまえんだ[#「ちゆうまえんだ」に傍点]はもと古い僧院の跡だといふ深い竹藪であつたのを、私の七八歳のころ、父が他から買ひ求めて、竹藪を拓き野菜をつくり、柑子を植ゑ、西洋草花を培養した。それでもなほ晝は赤い鬼百合の咲く畑に夜《よる》は幽靈の生《なま》じろい火が燃えた。
 世間ではこの舊家を屋號通りに「油屋」と呼び、或は「古問屋《ふるどんや》」と稱へた。實際私の生家は此六騎街中の一二の家柄であるばかりでなく、酒造家としても最も石數高く、魚類の問屋としては九州地方の老舖として夙《つと》に知られてゐたのである。從て濱に出ると平戸《ひらど》、五島、薩摩、天草、長崎等の船が無鹽、鹽魚、鯨、南瓜《ボウブラ》、西瓜、たまには鵞鳥、七面鳥の類まで積んで來て、絶えず取引してゐたものだつた。さうして魚市場の閑な折々《をり/\》は、血のついた腥くさい甃石《いしだゝみ》の上で、旅興行の手品師が囃子おもしろく、咽喉を眞赤に開《あ》けては、激しい夕燒の中で、よく大きな雁首の煙管を管いつぱいに呑んで見せたものである。
 私はか
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