すれば
内部《うちら》なる耶蘇の龕《みづし》にひとすぢの香《かう》たちのぼる。
街《まち》をゆき、透かし見すれば
日の眞晝ものの靜かにほのかにも香たちのぼる。
五十九
薄青き齒科醫《しくわい》の屋《いへ》に
夕日さし、
ほのかにも硝子は光る。
あはれ、女、
その戸いでていづちにかゆく…………
黄なる陽《ひ》に汝《な》を見れば
われもまたほの淡き齒痛《しつう》をおぼゆ。
六十
あはれ、あはれ、
灰色の線路にそひ、
ひとすぢの線路にそひ、
今朝《けさ》もまた辿りゆく淺葱服《あさぎふく》のわかき工夫、
汝《なれ》もまた路のゆくてに
青き花をか求むる、
かなしき長きあゆみよ。
六十一
新詩社にありしそのかみ、
などてさは悲しかりし。
銀笛を吹くにも、
ひとり路をゆくにも、
歌つくるにも、
などてさは悲しかりし。
をさなかりしその日。
[#改頁]
過ぎし日
[#改頁]
※[#「さんずい+自」、第3水準1−86−66、92−1]芙藍
罅《ひゞ》入りし珈琲碗《カウヒわん》に
※[#「さんずい+自」、第3水準1−86−66、92−3]芙藍《さふらん》のくさを植ゑたり。
その花ひとつひらけば
あはれや呼吸《いき》のをののく。
昨日《きのふ》を憎むこころの陰影《かげ》にも、時に顫えて
ほのかにさくや、さふらん。
銀笛
[#6字下がる]病弟鐵雄に
思ひ出の夜《よ》の空の
ほの青き瓦斯《ガス》の火に、
しみじみと
銀笛の音ぞうれふ。
そこはかと粉雪《こゆき》ふり、
梅の花黄になげく
その苑《その》の、
身のいたき衰弱《おとろへ》や。
罅《ひび》うすき硝子戸に
肋膜《ろくまく》のわづらひに、
その胸に、
かの沁みる音はほそし。
寫眞屋の燒あとに
鶯の鳴きつかれ、
珈琲店《カフエ》にまた、
薄荷酒《はつかしゆ》の冷《ひ》えゆけば、
靈《たましひ》の病める手に、
げに一夜《ひとよ》、きざまれて、
ひとりまた
音《ね》にかつのる、そのなげきよ。
凾
過ぎし日は鍼醫《はりい》の手凾《てばこ》、
天鵝絨《びらうど》の紫の凾、
柔かに手を觸れて、珍らしく
パツチリとひらいた凾、舶來の凾。
銀かな具のつめたさ、
SORI−BATTEN.びらうどのしとやかさ、
そのびらうどに
薄う光る針。
顫える針をつまんで、
GONSHAN の薄い肌《はだへ》を刺すこころ、
やるせない夏の眞晝のその手つき。
つかれと、かなしみと、ものおもひ、
官能の欲《よく》…………
こころにくいほど落ちついて
しんみりと刺す盲人《めくら》の手。
過ぎし日は鍼醫《はりい》の手凾。
天鵝絨《びらうど》の紫の凾、
柔かに手を觸れて、なつかしく、
パツチリと閉《し》めた凾、舶來の凾、
註。Sori−batten. 然しながら。方言。阿蘭陀訛?
Gonshan. 良家の娘。柳河語
陰影
なつかしき陰影《いんえい》をつくらんとて
雛罌粟《ひなげし》はひらき、
かなしき疲れを求めんとて
女は踊る。
晴れやかに鳴く鳥は日くれを思ひ、
蜥蜴《とかげ》は美くしくふりかへり、
時計の針は薄らあかりをいそしむ…………
捉《とら》へがたき過ぎし日の歡樂《くわんらく》よ、
哀愁《あいしゆう》よ、
すべてみな、かはたれにうつしゆく
薄青きシネマのまたたき、
いそがしき不可思議のそのフィルム。
げにげにわかき日のキネオラマよ、
思ひ出はそのかげに伴奏《つれひ》くピアノ、
月と瓦斯との接吻《キス》、
瓏銀《ろうぎん》の水をゆく小舟。
なつかしき陰影をつくらんとて
雛罌粟《ひなげし》は顫へ、
かなしき疲れを求めんとて
女は踊る。
淡い粉雪
Tinka John 作
淡《あは》い粉雪はブリツキの
薄い光に消えてゆく、
老孃《オールドミス》のさみしさか、
青いその日も消えてゆく。
※[#「轂」の「車」に代えて「米」、102−7]倉のほめき
思ひ出は※[#「轂」の「車」に代えて「米」、103−1]倉《こくぐら》の挽臼《ひきうす》の上に
ぼんやりと置きわすれたる蝋燭の火か、
黄いろなる蝋燭の火は
苅麥《かりむぎ》と七面鳥の卵とに陰影《かげ》をあたへ、
惡戲者《いたづらもの》の二十日鼠にうちわななく。
柔かに鳴く聲は物忘《ものわす》れゆく女のごとく、
薄あかりする空窓《そらまど》の硝子より、
ふけゆく夜《よる》のもののねをやかなしむ。………
黄いろなる蝋燭のちろちろ火。
いまだに大人《おとな》びぬ TONKA JOHNの こころは
かの※[#「轂」の「車」に代えて「米」、104−2]物《こくもつ》の花にかくれんぼの友をさがし、
暖かにのこりたる祭《まつり》のお囃子《はやし》にききふける…………
さ
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