がるる。
三十六
鄙《ひな》びたる鋭き呼子そをきけば涙ながるる。
いそがしき活動寫眞《くわつどうしやしん》煤びたる布に映すと、
かりそめの場末の小屋に瓦斯の火の消え落つるとき、
鄙びたる鋭き呼子そをきけば涙ながるる。
三十七
あはれ、あはれ、
色青き幻燈を見てありしとき、
なになればたづきなく、かのごとも涙ながれし、
いざやわれ倶樂部にゆき、友をたづね、
紅《くれなゐ》のトマト切り、ウヰスキイの酒や呼ばむ、
ほこりあるわかき日のために。
三十八
瓦斯の火のひそかにも聲たつるとき、
われ、君を悲しとおもひ、
靴ぬぐひの皮に
踵なる土《つち》蹈みなすなり、
別れ來て、土蹈みなすなり、
ほの黄なるしめり香の、かの苑の香《か》を嗅げば、
いまさらに涙ながる…………
三十九
忘れたる、
忘れたるにはあらねども…………
ゆかしとも、戀ひしともなきその人の
なになればふともかなしく、
今日の日の薄暮《くれがた》のなにかさは青くかなしき、
忘れたる、
忘れたるにはあらねども…………
四十
つねのごと街《まち》をながめて
ナイフ執り、フオク執り、女らに言葉かはせど、
色赤きキユラソオの酒さかづきにあるは滿たせど、
かなしみはいよいよ去らず、
かにかくにわかき身ゆゑに涙のみあふれていでつつ。
四十一
かかるかなしき手つきして、
かかる音《ね》にこそ彈きにしか、
かかるかなしきその日の少女《おとめ》。
四十二
あかき果《み》は草に落ち、
露に濡れて、
日をひと日|戰《おのの》きぬ、かくてまた香《か》だに立て得じ。
雨霽れて、日の射せば、甘く、かなしく、
物|求食《あさ》り、物|求食《あさ》り、寄りも來る音《ね》の
レグホンの雄の鷄《とり》の、あはれそがけたたましさよ。
四十三
葬式《ともらひ》の歸途《かへり》にか、戲れに笛吹き鳴らし、
もの甘き靄の内さざめきてたどる樂師よ。
哀れ、汝《なれ》ら、
薄ぐらき路次の長屋にひと時の後やあるらむ。
さはれなほ吹き鳴らし吹き鳴らし長閑《のど》に消えつつ、
うら若き服の鄙びのいろ赤く、なにか眺むる。
日はしばし夢の世界に目を放つ、黄金の光。…………
四十四
顏のいろ蒼ざめて
ゆめ見るごとき眼眸《まなざし》、
今日もまたわかき男、
空をのみ空をのみ見やりて暮らす。
四十五
長き日の光に倦《う》みて
熟《う》れし木の果は
やはらかき吐息《といき》もて地にぞ落ちたる。
またひとつ…………そよとだに風も吹かねど。
四十六
かなしかりにし昨日《きのふ》さへ、
かなしかりにし涙さへ、
明日《あす》は忘れむ、肥滿《ふと》れる君よ。
四十七
廢《すた》れたる園のみどりに
ふりそそぎ、ふりそそぎ、にほやかに小雨はうたふ。
罌粟《けし》よ、罌粟よ、
やはらかに燃えもいでね…………
四十八
なにゆゑに汝《な》は泣く、
あたたかに夕日にほひ、
たんぽぽのやはき溜息《ためいき》野に蒸して甘くちらばふ。
さるを女、
なにゆゑに汝《な》は泣く。
四十九
あはれ、人妻、
ふたつなきフランチエスカの物語
かたらふひまもみどり兒は聲を立てつつ、
かたはらを匍ひもてありく、
君はまた、たださりげなし。
あはれ、人妻。
五十
いかにせむ…………
やはらかに
眼も燃《も》えて、
ああ君は
唇《くちびる》をさしあてたまふ。
五十一
色赤き三日月。
色赤き三日月。
今日もまた臥床《ふしど》に
君が兒は銀笛のおもちやをぞ吹く、
やすらけきそのすさびよ。
五十二
柔《やは》らかなる日ざしに
張物《はりもの》する女、
いろいろの日ざしに
もの思ふ女、
柔らかなる日ざしに
張物《はりもの》する女。
五十三
われは怖る、
その宵のたはむれには似もやらで、
なにごとも忘れたる
今朝《けさ》の赤き唇。
五十四
いそがしき葬儀屋のとなり、
驛遞《えきてい》の局に似通ふ兩替《りようがえ》のペンキの家に、
われ入りて出づる間《ま》もなく、
折よくも電車むかへて、そそかしく飛びは乘りつれ。
いづくにか行きてあるべき、
ただひとり、ただひとり、指《さ》すかたもなく。
五十五
明日《あす》こそは
面《かほ》も紅めず、
うちいでて、
あまりりす眩《まば》ゆき園を、
明日こそは
手とり行かまし。
五十六
色あかきデカメロンの
書《ふみ》に肱つき、
なにごとをか思ひわづらひたまふ。
わかうどの友よ、
美くしきかかる日の夕暮に、さは疎《うと》くたれこめてのみ、
なにごとをか思ひわづらひたまふ。
五十七
あはれ、鐵雄、
靜かなる汝《な》が顏の蒼さよ、
聲もなきは泣きやしつる、
たよりなき闇の夜を
光りて消ゆる花火に。
五十八
ほの青く色ある硝子、
透かし見
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