外面《うはべ》に取すまして廢れた面紗《おもぎぬ》のかげに淫《みだ》らな秘密を匿《かく》してゐるのに比ぶれば、凡てが露《あらは》で、元氣で、また華《はな》やかである。かの巡禮の行樂、虎列拉《コレラ》避《よ》けの花火、さては古めかしい水祭の行事などおほかたこの街特殊のものであつて、張のつよい言葉つきも淫らに、ことにこの街のわかい六騎《ロツキユ》は温ければ漁《すなど》り、風の吹く日は遊び、雨には寢《い》ね、空腹《ひもじ》くなれば食《くら》ひ、酒をのみては月琴を彈き、夜はただ女を抱くといふ風である。かうして宗教を遊樂に結びつけ、遊樂の中に微かに一味の哀感を繼いでゐる。觀世音は永久《とこしへ》にうらわかい街の處女に依て齋《いつ》がれ(各の町に一體づつの觀世音を祭る、物日にはそれぞれある店の一部を借りて開帳し、これに侍づくわかい娘たちは参詣の人にくろ豆を配《くば》り、或は小屋をかけていろいろの催《もよふし》をする。さうしてこの中の資格は處女に限られ、縁づいたものは籍を除かれ、新らしい妙齡《としごろ》のものが代つて入る。)天火《てんび》のふる祭の晩の神前に幾つとなくかかぐる牡丹の唐獅子《からしし》の大提燈は、またわかい六騎《ロツキユ》の逞ましい日に燒けた腕《かひな》に献げられ、霜月親鸞上人の御正忌となれば七日七夜の法要は寺々の鐘鳴りわたり、朝の御講に詣《まう》づるとては、わかい男女《をとこをんな》夜明まへの街の溝石をからころと踏み鳴らしながら御正忌|参《めえ》らんかん…………の淫らな小歌に浮かれて媾曳《あひゞき》の樂しさを佛のまへに祈るのである。
沖《おき》ノ端《はた》の寫眞を見る人は柳、栴檀、櫨などのかげに、而も街の眞中《まんなか》を人工的水路の、水もひたひたと白く光つては芍藥の根を洗ひ洗濯女の手に波紋を畫く夏の眞晝の光景に一種のある異國的情緒の微漾を感ずるであらう。あの水祭はここで催され藍玉《あいだま》の俵を載せ、或は葡萄色の酒袋を香《にほひ》の滴るばかり積みかさねた小舟は毎日ここを上下する。正面の白壁はわが叔父の新宅であつて、高い酒倉は甍の上部を現はすのみ。かうして、私の母家はこの水の右折して、終に二條の大きな樋に極まり、渦を卷いて鹹川に落ちてゆくその袂から、是に左したるところにある。
今は銀行となつたが、もとはやはり姻戚の阿波の藍玉屋《あいだまや》の生鼠壁《なまこかべ
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