す硝子《がらす》の破片《くだけ》。
そのほとり WHISKY《ウヰスキイ》 の匂《にほひ》蒸《む》す銀色《ぎんいろ》の内《うち》、
声するは、密《ひそ》かにも露吸ひあぐる、
色赤き、色赤き花の吐息《といき》……
[#地付き]四十一年十二月
[#改丁]
[#ここから5字下げ]
このさんたくるすは三百年まへより大江村の切支丹のうちに忍びかくして守りつたへたるたつときみくるすなり。これは野中に見いでたり。
[#ここで字下げ終わり]
[#地から2字上げ]天草島大江村天主堂秘蔵
天草雅歌
四十年八月、新詩社の諸友とともに遠く天草島に遊ぶ。こはその紀念作なり。
[#地付き]「四十年十月作」
[#改ページ]
天艸雅歌
角を吹け
わが佳※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]《とも》よ、いざともに野にいでて
歌はまし、水牛《すゐぎう》の角《つの》を吹け。
視よ、すでに美果実《みくだもの》あからみて
田にはまた足穂《たりほ》垂れ、風のまに
山鳩のこゑきこゆ、角《つの》を吹け。
いざさらば馬鈴薯《ばれいしよ》の畑《はた》を越え
瓜哇《ジヤワ》びとが園に入り、かの岡に
鐘やみて蝋《らふ》の火の消ゆるまで
無花果《いちじゆく》の乳《ち》をすすり、ほのぼのと
歌はまし、汝《な》が頸《くび》の角《つの》を吹け。
わが佳※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]《とも》よ、鐘きこゆ、野に下りて
葡萄|樹《じゆ》の汁《つゆ》滴《した》る邑《むら》を過ぎ、
いざさらば、パアテルの黒き袈裟《けさ》
はや朝の看経《つとめ》はて、しづしづと
見えがくれ棕櫚《しゆろ》の葉に消ゆるまで、
無花果《いちじゆく》の乳《ち》をすすり、ほのぼのと
歌はまし、いざともに角《つの》を吹け、
わが佳※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]《とも》よ、起き来れ、野にいでて
歌はまし、水牛《すゐぎう》の角《つの》を吹け。
ほのかなる蝋の火に
いでや子ら、日は高し、風たちて
棕櫚《しゆろ》の葉のうち戦《そよ》ぎ冷《ひ》ゆるまで、
ほのかなる蝋《らふ》の火に羽《は》をそろへ
鴿《はと》のごと歌はまし、汝《な》が母も。
好《よ》き日なり、媼《おうな》たち、さらばまづ
祷《いの》らまし賛美歌《さんびか》の十五番《じふごばん》、
いざさらば風琴《オルガン》を子らは弾け、
あはれ、またわが爺《おぢ》よ、なにすとか、
老眼鏡《おいめがね》ここにこそ、座《ざ》はあきぬ、
いざともに祷《いの》らまし、ひとびとよ、
さんた・まりや。さんた・まりや。さんた・まりや。
拝《をろが》めば香炉《かうろ》の火身に燃えて
百合のごとわが霊《たま》のうちふるふ。
あなかしこ、鴿《はと》の子ら羽《は》をあげて
御龕《みづし》なる蝋《らふ》の火をあらためよ。
黒船《くろふね》の笛きこゆいざさらば
ほどもなくパアテルは見えまさむ、
さらにまた他《た》の燭《そく》をたてまつれ。
あなゆかし、ロレンゾか、鐘鳴らし、
まめやかに安息《あんそく》の日を祝《ほ》ぐは、
あな楽し、真白《ましろ》なる羽をそろへ
鴿《はと》のごと歌はまし、わが子らよ。
あはれなほ日は高し、風たちて
棕櫚《しゆろ》の葉のうち戦《そよ》ぎ冷《ひ》ゆるまで、
ほのかなる蝋《らふ》の火に羽をそろへ
鴿《はと》のごと歌はまし、はらからよ。
※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]を抜けよ
はやも聴け、鐘鳴りぬ、わが子らよ、
御堂《みだう》にははや夕《よべ》の歌きこえ、
蝋《らふ》の火もともるらし、※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を抜《ぬ》けよ。
もろもろの美果実《みくだもの》籠《こ》に盛りて、
汝《な》が鴿《はと》ら畑《はた》に下り、しらしらと
帰るらし夕《ゆふ》づつのかげを見よ。
われらいま、空色《そらいろ》の帆《ほ》のやみに
新《あらた》なる大海《おほうみ》の香炉《かうろ》採《と》り
籠《こ》に※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《た》きぬ、ひるがへる魚を見よ。
さるほどに、跪き、ひとびとは
目《ま》見《み》青き上人《しやうにん》と夜に祷《いの》り、
捧げます御《み》くるすの香《か》にや酔ふ、
うらうらと咽ぶらし、歌をきけ。
われらまた祖先《みおや》らが血によりて
洗礼《そそ》がれし仮名文《かなぶみ》の御経《みきやう》にぞ
主《しゆう》よ永久《とは》に恵みあれ、われらも、と
鴿《はと》率《ゐ》つつ祷らまし、帆をしぼれ。
はやも聴け、鐘鳴りぬ、わが子らよ、
御堂《みだう》にははや夕《よべ》の歌きこえ、
蝋《らふ》の火もくゆるらし、※[#「舟+虜」、第4水準2−85−82]《ろ》を抜けよ、
汝にささぐ
女子《をみなご》よ、
汝《な》に捧《ささ》ぐ、
ただひとつ。
然《しか》はあれ、汝《な》も知らむ。
このさんた・くるすは、かなた
檳榔樹《びろうじゆ》の実《み》の落つる国、
夕日《ゆふひ》さす白琺瑯《はくはふらう》の石の階《はし》
そのそこの心の心、――
えめらるど、あるは紅玉《こうぎよく》、
褐《くり》の埴《はに》八千層《やちさか》敷ける真底《まそこ》より、
汝《な》が愛を讃《たた》へむがため、
また、清き接吻《くちつけ》のため、
水晶の柄《え》をすげし白銀《しろかね》の鍬をもて、
七つほど先《さき》の世《よ》ゆ世を継《つ》ぎて
ひたぶるに、われとわが
採《と》りいでし型《かた》、
その型《かた》を
汝《な》に捧《ささ》ぐ、
女子《をみなご》よ。
ただ秘めよ
曰《い》ひけるは、
あな、わが少女《をとめ》、
天艸《あまくさ》の蜜《みつ》の少女《をとめ》よ。
汝《な》が髪は烏《からす》のごとく、
汝《な》が唇《くち》は木《こ》の実《み》の紅《あけ》に没薬《もつやく》の汁《しゆ》滴《したた》らす。
わが鴿《はと》よ、わが友よ、いざともに擁《いだ》かまし。
薫《くゆり》濃《こ》き葡萄の酒は
玻璃《ぎやまん》の壺《つぼ》に盛《も》るべく、
もたらしし麝香《じやかう》の臍《ほぞ》は
汝《な》が肌の百合に染めてむ。
よし、さあれ、汝《な》が父に、
よし、さあれ、汝《な》が母に、
ただ秘《ひ》めよ、ただ守れ、斎《いつ》き死ぬまで、
虐《しひたげ》の罪の鞭《しもと》はさもあらばあれ、
ああただ秘《ひ》めよ、御《み》くるす[#「くるす」に傍点]の愛《あい》の徴《しるし》を。
さならずば
わが家《いへ》の
わが家《いへ》の可愛《かあ》ゆき鴿《はと》を
その雛《ひな》を
汝《なれ》せちに恋ふとしならば、
いでや子よ、
逃《のが》れよ、早も邪宗門《じやしゆうもん》外道《げだう》の教《をしへ》
かくてまた遠き祖《おや》より伝《つた》ヘこし秘密《ひみつ》の聖磔《くるす》
とく柱より取りいでよ。もし、さならずば
もろもろの麝香《じやかう》のふくろ、
桂枝《けいし》、はた、没薬《もつやく》、蘆薈《ろくわい》
および乳《ちち》、島の無花果《いちじゆく》、
如何に世のにほひを積むも、――
さならずば、
もしさならずば――
汝《なれ》いかに陳《ちん》じ泣くとも、あるは、また
護摩《ごま》※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《た》き修し、伴天連《ばてれん》の救《すくひ》よぶとも、
ああ遂に詮《せん》業《すべ》なけむ。いざさらば
接吻《くちつけ》の妙《たへ》なる蜜《みつ》に、
女子《をみなご》の葡萄の息《いき》に、
いで『ころべ』いざ歌へ、わかうどよ。
嗅煙艸
『あはれ、あはれ、深江《ふかえ》の媼《おば》よ。
髪も頬《ほ》も煙艸色《たばこいろ》なる、
棕櫚《しゆろ》の根に蹲《うづく》む媼《おば》よ。
汝《な》が持てる象牙《ざうげ》の壺《つぼ》は
また薫《くゆ》る褐《くり》なる粉《こな》は
何ぞ。また、せちに鼻つけ
涙垂れ、あかき眼《め》擦《す》るは。』
このときに渡《わたり》の媼《おうな》
呻《によ》ぶらく。『わが葡萄牙《ほるとがる》、
こを嗅《か》ぎてわかきは思ふ。』
『さらば、汝《な》は。』『責《せ》めそ、さな、さな、
養生《やしなひ》を骸《から》はただ欲《ほ》れ。
さればこそ、この嗅煙艸《かぎたばこ》。』
鵠
わかうどなゆめ近よりそ、
かのゆくは邪宗《じやしゆう》の鵠《くぐひ》、
日のうちに七度《ななたび》八度《やたび》
潮《うしほ》あび化粧《けはひ》すといふ
伴天連《ばてれん》の秘《ひそ》の少女《をとめ》ぞ。
地になびく髪には蘆薈《ろくわい》、
嘴《はし》にまたあかき実《み》を塗《ぬ》る
淫《みだ》らなる鳥にしあれば、
絶えず、その真白羽《ましろは》ひろげ
乳香《にふかう》の水したたらす。
されば、子なゆめ近よりそ。
視よ、持つは炎《ほのほ》か、華《はな》か、
さならずば実《み》の無花果《いちじゆく》か、
兎《と》にもあれ、かれこそ邪法《じやはふ》。
わかうどなゆめ近よりそ。
日ごとに
日ごとにわかき姿《すがた》して
日ごとに歌ふわが族《ぞう》よ、
日ごとに紅《あか》き実《み》の乳房《ちぶさ》
日ごとにすてて漁《あさ》りゆく。
黄金向日葵
あはれ、あはれ、黄金《こがね》向日葵《ひぐるま》
汝《みまし》また太陽《ひ》にも倦《あ》きしか、
南国《なんごく》の空の真昼《まひる》を
かなしげに疲《つか》れて見ゆる。
一※[#「火+主」、第3水準1−87−40]
香炉《かうろ》いま
一※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《いつす》のかをり。
あはれ、火はこころのそこに。
さあれ、その
一※[#「火+主」、第3水準1−87−40]《いつす》のけむり、
かの空《そら》の青き龕《みづし》に。
[#改丁]
青き花
南紀旅行の紀念として且はわが羅曼底時代のあえかなる思出のために、この幼き一章を過ぎし日の友にささぐ。
[#地付き]「四十年二、三両月中作」
[#改ページ]
青き花
そは暗《くら》きみどりの空に
むかし見し幻《まぼろし》なりき。
青き花
かくてたづねて、
日も知らず、また、夜《よ》も知らず、
国あまた巡《めぐ》りありきし
そのかみの
われや、わかうど。
そののちも人とうまれて、
微妙《いみじ》くも奇《く》しき幻《まぼろし》
ゆめ、うつつ、
香《か》こそ忘れね、
かの青き花をたづねて、
ああ、またもわれはあえかに
人《ひと》の世《よ》の
旅路《たびぢ》に迷ふ。
君
かかる野に
何時《いつ》かありけむ。
仏手柑《ぶしゆかん》の青む南国《なんごく》
薫《かを》る日の光なよらに
身をめぐりほめく物の香《か》、
鳥うたひ、
天《そら》もゆめみぬ。
何時《いつ》の世か
君と識《し》りけむ。
黄金《こがね》なす髪もたわたわ、
みかへるか、あはれ、つかのま
ちらと見ぬ、わかき瞳《ひとみ》に
にほひぬる
かの青き花。
桑名
夜《よ》となりぬ、神世《かみよ》に通ふやすらひに
早や門《かど》鎖《とざ》す古伊勢《ふるいせ》の桑名《くわな》の街《まち》は
路《みち》も狭《せ》に高き屋《や》づくり音《おと》もなく、
陰森《いんしん》として物の隈《くま》ひろごるにほひ。
おほらかに零落《れいらく》の戸を瞰下《みおろ》して
愁ふるがごと月光《げつくわう》は青に照せり。
参宮《さんぐう》の衆《しゆう》にかあらむ、旅《たび》びとの
二人《ふたり》三人《みたり》はさきのほどひそかに過《す》ぎぬ。
貸《かし》旅籠《はたご》札《ふだ》のみ白き壁つづき
ほとほと[#「ほとほと」に傍点]遠く、物ごゑの夜風《よかぜ》に消えて、
今ははた数《かず》添《そ》はりゆく星くづの
天《そら》なる調《しらべ》やはらかに、地は闌《ふ》けまさる。
時になほ街《まち》はづれなる老舗《しにせ》の戸
少し明《あか》りて火は路《みち》へひとすぢ射《さ》しぬ。
行燈《あんどう》のかげには清き女《め》の童《わらは》物縫《ものぬ》ふけはひ、
そがなかにたわやの一人《ひとり》髪あげて
戸外《とのも》すかしぬ。――事もなき夜《よ》のしづけさに。
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