sさ》くる赤き火の弾丸《たま》
た[#「た」に傍点]と笑ふ、と見る、我《われ》燬《や》き
我ならぬ獣《けもの》のつらね
真黒《まくろ》なる楽《がく》して奔《はし》る。
執念《しふねん》の闇曳き奔《はし》る。

そのなかにこほろぎ啼ける。

日や暮るる。我はや死ぬる。
野をあげて末期《まつご》のあらび――
暗《くら》き血の海に溺《おぼ》るる
赤き悲苦《ひく》、赤きくるめき、
ああ、今し、くわとこそ狂へ。

微《ほの》になほこほろぎ啼《な》ける。
[#地付き]四十年十二月


  序楽

ひと日、わが想《おもひ》の室《むろ》の日もゆふべ、
光、もののね、色、にほひ――声なき沈黙《しじま》
徐《おもむろ》にとりあつめたる室《むろ》の内《うち》、いとおもむろに、
薄暮《くれがた》のタンホイゼルの譜《ふ》のしるし
ながめて人はゆめのごとほのかにならぶ。

壁はみな鈍《にぶ》き愁《うれひ》ゆなりいでし
象《ざう》の香《か》の色まろらかに想《おもひ》鎖《さ》しぬれ、
その隅に瞳の色の窓ひとつ、玻璃《はり》の遠見《とほみ》に
冷《ひ》えはてしこの世のほかの夢の空
かはたれどきの薄明《うすあかり》ほのかにうつる。

あはれ、見よ、そのかみの苦悩《なやみ》むなしく
壁はいたみ、円柱《まろはしら》熔《とろ》けくづれて
朽《く》ちはてし熔岩《ラヴア》に埋《うも》るるポンペイを、わが幻《まぼろし》を。
ひとびとはいましゆるかに絃《いと》の弓、
はた、もろもろの調楽《てうがく》の器《うつは》をぞ執る。

暗みゆく室内《むろぬち》よ、暗みゆきつつ
想《おもひ》の沈黙《しじま》重たげに音《おと》なく沈み、
そことなき月かげのほの淡《あは》くさし入るなべに、
はじめまづ※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロンのひとすすりなき、
鈍色《にびいろ》長き衣《ころも》みな瞳をつぶる。

燃えそむるヴヱス※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]アス、空のあなたに
色|新《あたら》しき紅《くれなゐ》の火ぞ噴《ふ》きのぼる。
廃《すた》れたる夢の古墟《ふるつか》、さとあかる我《わが》室《むろ》の内、
ひとときに渦巻《うづま》きかへす序《じよ》のしらべ
管絃楽部《オオケストラ》のうめきより夜《よ》には入りぬる。
[#地付き]四十一年二月


  納曾利

入日のしばし、空はいま雲の震慄《おびえ》のあかあかと
鋭《するど》にわかく、はた、苦《にが》く狂ひただるる楽《がく》の色。
また、高※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]の鬱金香《うこんかう》。かげに斃《たふ》るる白牛《しろうし》の
眉間《みけん》のいたみ、憤怒《いきどほり》。血に笑《ゑ》む人がさけびごゑ。

[#ここから1字下げ]
さあれ、いま納曾利《なそり》のなげき……
鈍《にぶ》き思《おもひ》の灰色《はひいろ》の壁の家内《やぬち》に、
吹《ふ》き鳴らす古き舞楽《ぶがく》の笙《せう》の節《ふし》、
納曾利《なそり》のなげき……

納曾利《なそり》のなげき、ひとしなみ
おほらににほふ雅楽寮《うたれう》の古きいみじき日の愁《うれひ》、
納曾利《なそり》の舞《まひ》の
人のゆめ、鈍《にぶ》くものうき足どりの裾ゆるらかに、
おもむろの振《ふり》のみやびの舞《まひ》あそび、
納曾利《なそり》のなげき……

くりかへし、さはくりかへし、
ゆめのごと後《しりへ》に連《つ》るる笙《せう》の節《ふし》、
笛《ふえ》のねとりもすずろかに、広《ひろ》き家内《やぬち》に、
おなじことおなじ嫋《なよび》にくりかへし、
舞《ま》へる思《おもひ》の
倦《う》める思《おもひ》のにほやかさ、
ゆるき鞨皷《かつこ》の
音《ね》もにぶく、
古《ふる》き納曾利《なそり》の舞《まひ》をさめ……
[#ここで字下げ終わり]

今《いま》しも街《まち》の空《そら》高《たか》く消《き》ゆる光《ひかり》のわななきに、
ほのかに青《あを》く、なほ苦《にが》く顫《ふる》ひくづるる雲《くも》の色《いろ》。
また、浮《う》きのこる鬱金香《うこんかう》。暮《く》れて果《は》てたる白牛《しろうし》の
声《こえ》なき骸《むくろ》。人《ひと》だかり、血《ち》を見《み》て黙《もだ》す冷笑《ひやわらひ》。
[#地付き]四十一年七月


  ほのかにひとつ

罌粟《けし》ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……

やはらかき麦生《むぎふ》のなかに、
軟風《なよかぜ》のゆらゆるそのに。

薄《うす》き日の暮るとしもなく、
月《つき》しろの顫《ふる》ふゆめぢを、

縺《もつ》れ入るピアノの吐息《といき》
ゆふぐれになぞも泣かるる。

さあれ、またほのに生《あ》れゆく
色あかきなやみのほめき。

やはらかき麦生《むぎふ》の靄に、
軟風《なよかぜ》のゆらゆる胸に、

罌粟《けし》ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……
[#地付き]四十一年二月


  耽溺

あな悲《かな》し、紅《あか》き帆《ほ》きたる。
聴《き》けよ、今《いま》、紅《あか》き帆《ほ》きたる。

白日《はくじつ》の光の水脈《みを》に、
わが恋の器楽《きがく》の海に。

あはれ、聴け、光は噎《むせ》び、
海顫ひ、清《すが》掻《がき》焦《こ》がれ
眩暈《めくる》めく悲愁《かなしみ》の極《はて》、
苦悶《もだえ》そふ歓楽《よろこび》のせて
キユラソオの紅《あか》き帆《ほ》ひびく。

弾《ひ》けよ、弾《ひ》け、毒《どく》の※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロン
吹けよ、また媚薬《びやく》の嵐。
あはれ歌、あはれ幻《まぼろし》、
その海に紅《あか》き帆《ほ》光る。
海の歌きこゆ、このとき、
『噫《あゝ》、かなし、炎《ほのほ》よ、慾《よく》よ、
接吻《くちつけ》よ。』

聴けよ、また苦《にが》き愛着《あいぢやく》、
肉《しゝむら》のおびえと恐怖《おそれ》、
『死ねよ、死ね』、紅《あか》き帆《ほ》響《ひゞ》く、
『恋よ、汝《な》よ。』

弾《ひ》けよ、弾《ひ》け、毒の※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロン
吹けよ、また媚薬《びやく》の嵐。

一瞬《ひととき》よ、――光よ、水脈《みを》よ、
楽《がく》の音《ね》よ――酒のキユラソオ、
接吻《くちつけ》の非命《ひめい》の快楽《けらく》、
毒水《どくすゐ》の火のわななきよ。
狂《くる》へ、狂《くる》へ、破滅《ほろび》の渚《なぎさ》、
聴くははや楽《がく》の大極《たいきよく》、
狂乱《きやうらん》の日の光|吸《す》ふ
紅《あか》き帆の終《つひ》のはためき。

死なむ、死なむ、二人《ふたり》は死なむ。

紅《あか》き帆《ほ》きゆる。
紅《あか》き帆《ほ》きゆる。
[#地付き]四十年十二月


  といき

大空《おほそら》に落日《いりひ》ただよひ、
旅しつつ燃えゆく黄雲《きぐも》。
そのしたの伽藍《がらん》の甍《いらか》
半《なかば》黄《き》になかばほのかに、
薄闇《うすやみ》に蝋《らふ》の火にほひ、
円柱《まろはしら》またく暮れたる。

ほのめくは鳩の白羽《しらは》か、
敷石《しきいし》の闇にはひとり
盲《めしひ》の子ひたと膝つけ、
ほのかにも尺八《しやくはち》吹《ふ》ける、
あはれ、その追分《おひわけ》のふし。
[#地付き]四十年十二月


  黒船

黒煙《くろけぶり》ほのにひとすぢ。――
あはれ、日は血を吐く悶《もだえ》あかあかと
濡れつつ淀《よど》む悪《あく》の雲そのとどろきに
燃え狂ふ恋慕《れんぼ》の楽《がく》の断末魔《だんまつま》。
遠目《とほめ》に濁る蒼海《わだつみ》の色こそあかれ、
黒潮《くろしほ》の水脈《みを》のはたての水けぶり、
はた、とどろ撃《う》つ毒の砲弾《たま》、清《すず》しき喇叭《らつぱ》、
薄暮《くれがた》の朱《あけ》のおびえの戦《たゝかひ》に
疲れくるめく衰《おとろへ》ぞああ音《ね》を搾《しぼ》る。

黒煙《くろけぶり》またもふたすぢ。――
序《じよ》のしらべ絶《た》えつ続きつ、いつしかに
黒《くろ》き悩《なやみ》の旋律《せんりつ》ぞ渦《うづ》巻《ま》き起る。
逃《に》げ来《く》るは密猟船《みつれうせん》の旗じるし、
痍《きずつ》き噎《むせ》ぶ血と汚穢《けがれ》、はた憤怒《いきどほり》
おしなべて黄ばみ騒立《さわだ》つ楽《がく》の色。
空には苦《にが》き嘲笑《あざけり》に雲かき乱れ、
重《おも》りゆく煩悶《もだえ》のあらびはやもまた
黒き恐怖《おそれ》のはたためき海より煙る。

黒煙三すぢ、五すぢ。――
幻法《げんぱふ》のこれや苦《くる》しき脅迫《おびやかし》
いと淫《みだ》らかに蒸し挑《いど》む疾風《はやち》のもとに、
現れて真黒《まくろ》に歎《なげ》く楽《がく》の船、
生《なま》あをじろき鱶《ふか》の腹ただほのぼのと、
暮れがての赤きくるしみ、うめきごゑ、
血の甲板《かふはん》のうへにまた爛《たゞ》れて叫ぶ
楽慾《げうよく》の破片《はへん》の砲弾《たま》ぞ慄《わなゝ》ける。
ああその空にはたためく黒き帆のかげ。

黒煙終に七すぢ。――
吹きかはす銀《ぎん》の喇叭もたえだえに、
渦巻き猛《たけ》る楽《がく》の極《はて》、蒼海《わだつみ》けぶり、
悪《あく》の雲とどろとどろの乱擾《らんぜう》に
急忙《あわたゞ》しくも呪《のろ》はしき夜《よ》のたたずまひ。
濡れ焙《い》ぶる水無月ぞらの日の名残《なごり》
はた掻き濁し、暗澹《あんたん》と、あはれ黒船《くろふね》、
真黒なる管絃楽《オオケストラ》の帆の響《ひゞき》
死《し》と悔恨《くわいこん》の闇|擾《みだ》し壊《くづ》れくづるる。
[#地付き]四十一年二月


  地平

あな哀《あは》れ、今日《けふ》もまた銅《あかがね》の雲をぞ生める。
あな哀《あは》れ、明日《あす》も亦|鈍《にぶ》き血の毒《どく》をや吐かむ。

見るからにただ熱《あつ》し、心は重し。
察《はか》るだにいや苦《くる》し、愁《うれひ》はおもし。

かの青き国《くに》のあこがれ、
つねに見る地平《ちへい》のはてに、
大空《おほぞら》の真昼《まひる》の色と、
連《つ》れて弾《ひ》く緑《みどり》ひとつら。

その緑《みどり》琴柱《ことぢ》にはして、
弾きなづむ鳩の羽の夢、
幌《ほろ》の星《ほし》、剣《つるぎ》のなげき、
清掻《すががき》はほのかに薫《く》ゆる。

さては、日の白き恐怖《おそれ》に
静かなる太鼓《たいこ》のとろぎ、
昼《ひる》領《し》らす神か拊《う》たせる、
ころころとまたゆるやかに。

また絶えず、吐息《といき》のつらね
かなたより笛してうかび、
こなたより絃《いと》して消ゆる、――
ほのかなる夢のおきふし。

しかはあれ、ものなべて圧《お》す
南国《なんごく》の熱病雲《ねつやみぐも》ぞ
猥《みだ》らなる毒《どく》の※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]言《うはごと》
とどろかに歌かき濁《にご》す。

おもふ、いま水に華《はな》さき、
野《の》に赤き駒《こま》は斃《たふ》れむ。
うらうへに病《や》ましき現象《きざし》
今日《けふ》もまたどよみわづらふ。

あな哀《あは》れ、咋《きそ》の日も銅《あかがね》のなやみかかりき。
あな哀《あは》れ、明日《あす》もまた鈍《にぶ》き血の濁《にごり》かからむ。

聴くからにただ熱《あつ》し、心は重し。
思ふだにいやくるし、愁は重し。
[#地付き]四十年十二月


  ふえのね

ほのかに見ゆる青き頬《ほ》、
あな、あな、玻璃《はり》のおびゆる。

かなたにひびく笛のね、……
青き頬《ほ》ほのに消えゆく。

室《むろ》にもつのるふえのね、……
ふたつのにほひ盲《し》ひゆく。

きこえずなりぬふえのね、……
内《うち》と外《そと》とのなげかひ。

またしも見ゆる青き頬《ほ》。
あな、また玻璃《はり》のおびゆる。
[#地付き]四十一年二月


  下枝のゆらぎ

日はさしぬ、白楊《はくやう》の梢《こずゑ》に赤く、
さはあれど、暮れ惑《まど》ふ下枝《しづえ》のゆらぎ……

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水《みづ》の面《も》のやはらかきにほひの嘆《なげき》
波もなき病《や》ましさ
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