キるど》にわかく、はた、苦《にが》く狂ひただるる楽《がく》の色。
また、高※[#「窗/心」、第3水準1−89−54]の鬱金香《うこんかう》。かげに斃《たふ》るる白牛《しろうし》の
眉間《みけん》のいたみ、憤怒《いきどほり》。血に笑《ゑ》む人がさけびごゑ。

[#ここから1字下げ]
さあれ、いま納曾利《なそり》のなげき……
鈍《にぶ》き思《おもひ》の灰色《はひいろ》の壁の家内《やぬち》に、
吹《ふ》き鳴らす古き舞楽《ぶがく》の笙《せう》の節《ふし》、
納曾利《なそり》のなげき……

納曾利《なそり》のなげき、ひとしなみ
おほらににほふ雅楽寮《うたれう》の古きいみじき日の愁《うれひ》、
納曾利《なそり》の舞《まひ》の
人のゆめ、鈍《にぶ》くものうき足どりの裾ゆるらかに、
おもむろの振《ふり》のみやびの舞《まひ》あそび、
納曾利《なそり》のなげき……

くりかへし、さはくりかへし、
ゆめのごと後《しりへ》に連《つ》るる笙《せう》の節《ふし》、
笛《ふえ》のねとりもすずろかに、広《ひろ》き家内《やぬち》に、
おなじことおなじ嫋《なよび》にくりかへし、
舞《ま》へる思《おもひ》の
倦《う》める思《おもひ》のにほやかさ、
ゆるき鞨皷《かつこ》の
音《ね》もにぶく、
古《ふる》き納曾利《なそり》の舞《まひ》をさめ……
[#ここで字下げ終わり]

今《いま》しも街《まち》の空《そら》高《たか》く消《き》ゆる光《ひかり》のわななきに、
ほのかに青《あを》く、なほ苦《にが》く顫《ふる》ひくづるる雲《くも》の色《いろ》。
また、浮《う》きのこる鬱金香《うこんかう》。暮《く》れて果《は》てたる白牛《しろうし》の
声《こえ》なき骸《むくろ》。人《ひと》だかり、血《ち》を見《み》て黙《もだ》す冷笑《ひやわらひ》。
[#地付き]四十一年七月


  ほのかにひとつ

罌粟《けし》ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……

やはらかき麦生《むぎふ》のなかに、
軟風《なよかぜ》のゆらゆるそのに。

薄《うす》き日の暮るとしもなく、
月《つき》しろの顫《ふる》ふゆめぢを、

縺《もつ》れ入るピアノの吐息《といき》
ゆふぐれになぞも泣かるる。

さあれ、またほのに生《あ》れゆく
色あかきなやみのほめき。

やはらかき麦生《むぎふ》の靄に、
軟風《なよかぜ》のゆらゆる胸に、

罌粟《けし》ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……
[#地付き]四十一年二月


  耽溺

あな悲《かな》し、紅《あか》き帆《ほ》きたる。
聴《き》けよ、今《いま》、紅《あか》き帆《ほ》きたる。

白日《はくじつ》の光の水脈《みを》に、
わが恋の器楽《きがく》の海に。

あはれ、聴け、光は噎《むせ》び、
海顫ひ、清《すが》掻《がき》焦《こ》がれ
眩暈《めくる》めく悲愁《かなしみ》の極《はて》、
苦悶《もだえ》そふ歓楽《よろこび》のせて
キユラソオの紅《あか》き帆《ほ》ひびく。

弾《ひ》けよ、弾《ひ》け、毒《どく》の※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロン
吹けよ、また媚薬《びやく》の嵐。
あはれ歌、あはれ幻《まぼろし》、
その海に紅《あか》き帆《ほ》光る。
海の歌きこゆ、このとき、
『噫《あゝ》、かなし、炎《ほのほ》よ、慾《よく》よ、
接吻《くちつけ》よ。』

聴けよ、また苦《にが》き愛着《あいぢやく》、
肉《しゝむら》のおびえと恐怖《おそれ》、
『死ねよ、死ね』、紅《あか》き帆《ほ》響《ひゞ》く、
『恋よ、汝《な》よ。』

弾《ひ》けよ、弾《ひ》け、毒の※[#濁点付き片仮名ヰ、1−7−83]オロン
吹けよ、また媚薬《びやく》の嵐。

一瞬《ひととき》よ、――光よ、水脈《みを》よ、
楽《がく》の音《ね》よ――酒のキユラソオ、
接吻《くちつけ》の非命《ひめい》の快楽《けらく》、
毒水《どくすゐ》の火のわななきよ。
狂《くる》へ、狂《くる》へ、破滅《ほろび》の渚《なぎさ》、
聴くははや楽《がく》の大極《たいきよく》、
狂乱《きやうらん》の日の光|吸《す》ふ
紅《あか》き帆の終《つひ》のはためき。

死なむ、死なむ、二人《ふたり》は死なむ。

紅《あか》き帆《ほ》きゆる。
紅《あか》き帆《ほ》きゆる。
[#地付き]四十年十二月


  といき

大空《おほそら》に落日《いりひ》ただよひ、
旅しつつ燃えゆく黄雲《きぐも》。
そのしたの伽藍《がらん》の甍《いらか》
半《なかば》黄《き》になかばほのかに、
薄闇《うすやみ》に蝋《らふ》の火にほひ、
円柱《まろはしら》またく暮れたる。

ほのめくは鳩の白羽《しらは》か、
敷石《しきいし》の闇にはひとり
盲《めしひ》の子ひたと膝つけ、
ほのかにも尺八《しやくはち》吹《ふ》ける、
あはれ、その追分《おひわけ》のふし。
[#地付き]四十年十二月



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