@ 黒船

黒煙《くろけぶり》ほのにひとすぢ。――
あはれ、日は血を吐く悶《もだえ》あかあかと
濡れつつ淀《よど》む悪《あく》の雲そのとどろきに
燃え狂ふ恋慕《れんぼ》の楽《がく》の断末魔《だんまつま》。
遠目《とほめ》に濁る蒼海《わだつみ》の色こそあかれ、
黒潮《くろしほ》の水脈《みを》のはたての水けぶり、
はた、とどろ撃《う》つ毒の砲弾《たま》、清《すず》しき喇叭《らつぱ》、
薄暮《くれがた》の朱《あけ》のおびえの戦《たゝかひ》に
疲れくるめく衰《おとろへ》ぞああ音《ね》を搾《しぼ》る。

黒煙《くろけぶり》またもふたすぢ。――
序《じよ》のしらべ絶《た》えつ続きつ、いつしかに
黒《くろ》き悩《なやみ》の旋律《せんりつ》ぞ渦《うづ》巻《ま》き起る。
逃《に》げ来《く》るは密猟船《みつれうせん》の旗じるし、
痍《きずつ》き噎《むせ》ぶ血と汚穢《けがれ》、はた憤怒《いきどほり》
おしなべて黄ばみ騒立《さわだ》つ楽《がく》の色。
空には苦《にが》き嘲笑《あざけり》に雲かき乱れ、
重《おも》りゆく煩悶《もだえ》のあらびはやもまた
黒き恐怖《おそれ》のはたためき海より煙る。

黒煙三すぢ、五すぢ。――
幻法《げんぱふ》のこれや苦《くる》しき脅迫《おびやかし》
いと淫《みだ》らかに蒸し挑《いど》む疾風《はやち》のもとに、
現れて真黒《まくろ》に歎《なげ》く楽《がく》の船、
生《なま》あをじろき鱶《ふか》の腹ただほのぼのと、
暮れがての赤きくるしみ、うめきごゑ、
血の甲板《かふはん》のうへにまた爛《たゞ》れて叫ぶ
楽慾《げうよく》の破片《はへん》の砲弾《たま》ぞ慄《わなゝ》ける。
ああその空にはたためく黒き帆のかげ。

黒煙終に七すぢ。――
吹きかはす銀《ぎん》の喇叭もたえだえに、
渦巻き猛《たけ》る楽《がく》の極《はて》、蒼海《わだつみ》けぶり、
悪《あく》の雲とどろとどろの乱擾《らんぜう》に
急忙《あわたゞ》しくも呪《のろ》はしき夜《よ》のたたずまひ。
濡れ焙《い》ぶる水無月ぞらの日の名残《なごり》
はた掻き濁し、暗澹《あんたん》と、あはれ黒船《くろふね》、
真黒なる管絃楽《オオケストラ》の帆の響《ひゞき》
死《し》と悔恨《くわいこん》の闇|擾《みだ》し壊《くづ》れくづるる。
[#地付き]四十一年二月


  地平

あな哀《あは》れ、今日《けふ》もまた銅《あかがね》の雲をぞ生める。
あな哀《あは》れ、明日《あす》も亦|鈍《にぶ》き血の毒《どく》をや吐かむ。

見るからにただ熱《あつ》し、心は重し。
察《はか》るだにいや苦《くる》し、愁《うれひ》はおもし。

かの青き国《くに》のあこがれ、
つねに見る地平《ちへい》のはてに、
大空《おほぞら》の真昼《まひる》の色と、
連《つ》れて弾《ひ》く緑《みどり》ひとつら。

その緑《みどり》琴柱《ことぢ》にはして、
弾きなづむ鳩の羽の夢、
幌《ほろ》の星《ほし》、剣《つるぎ》のなげき、
清掻《すががき》はほのかに薫《く》ゆる。

さては、日の白き恐怖《おそれ》に
静かなる太鼓《たいこ》のとろぎ、
昼《ひる》領《し》らす神か拊《う》たせる、
ころころとまたゆるやかに。

また絶えず、吐息《といき》のつらね
かなたより笛してうかび、
こなたより絃《いと》して消ゆる、――
ほのかなる夢のおきふし。

しかはあれ、ものなべて圧《お》す
南国《なんごく》の熱病雲《ねつやみぐも》ぞ
猥《みだ》らなる毒《どく》の※[#「言+墟のつくり」、第4水準2−88−74]言《うはごと》
とどろかに歌かき濁《にご》す。

おもふ、いま水に華《はな》さき、
野《の》に赤き駒《こま》は斃《たふ》れむ。
うらうへに病《や》ましき現象《きざし》
今日《けふ》もまたどよみわづらふ。

あな哀《あは》れ、咋《きそ》の日も銅《あかがね》のなやみかかりき。
あな哀《あは》れ、明日《あす》もまた鈍《にぶ》き血の濁《にごり》かからむ。

聴くからにただ熱《あつ》し、心は重し。
思ふだにいやくるし、愁は重し。
[#地付き]四十年十二月


  ふえのね

ほのかに見ゆる青き頬《ほ》、
あな、あな、玻璃《はり》のおびゆる。

かなたにひびく笛のね、……
青き頬《ほ》ほのに消えゆく。

室《むろ》にもつのるふえのね、……
ふたつのにほひ盲《し》ひゆく。

きこえずなりぬふえのね、……
内《うち》と外《そと》とのなげかひ。

またしも見ゆる青き頬《ほ》。
あな、また玻璃《はり》のおびゆる。
[#地付き]四十一年二月


  下枝のゆらぎ

日はさしぬ、白楊《はくやう》の梢《こずゑ》に赤く、
さはあれど、暮れ惑《まど》ふ下枝《しづえ》のゆらぎ……

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水《みづ》の面《も》のやはらかきにほひの嘆《なげき》
波もなき病《や》ましさ
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