の青き龕《みづし》に。
[#改丁]

   青き花


南紀旅行の紀念として且はわが羅曼底時代のあえかなる思出のために、この幼き一章を過ぎし日の友にささぐ。
[#地付き]「四十年二、三両月中作」
[#改ページ]

  青き花

そは暗《くら》きみどりの空に
むかし見し幻《まぼろし》なりき。
青き花
かくてたづねて、
日も知らず、また、夜《よ》も知らず、
国あまた巡《めぐ》りありきし
そのかみの
われや、わかうど。

そののちも人とうまれて、
微妙《いみじ》くも奇《く》しき幻《まぼろし》
ゆめ、うつつ、
香《か》こそ忘れね、

かの青き花をたづねて、
ああ、またもわれはあえかに
人《ひと》の世《よ》の
旅路《たびぢ》に迷ふ。


  君

かかる野に
何時《いつ》かありけむ。
仏手柑《ぶしゆかん》の青む南国《なんごく》
薫《かを》る日の光なよらに
身をめぐりほめく物の香《か》、
鳥うたひ、
天《そら》もゆめみぬ。

何時《いつ》の世か
君と識《し》りけむ。
黄金《こがね》なす髪もたわたわ、
みかへるか、あはれ、つかのま
ちらと見ぬ、わかき瞳《ひとみ》に
にほひぬる
かの青き花。


  桑名

夜《よ》となりぬ、神世《かみよ》に通ふやすらひに
早や門《かど》鎖《とざ》す古伊勢《ふるいせ》の桑名《くわな》の街《まち》は
路《みち》も狭《せ》に高き屋《や》づくり音《おと》もなく、
陰森《いんしん》として物の隈《くま》ひろごるにほひ。
おほらかに零落《れいらく》の戸を瞰下《みおろ》して
愁ふるがごと月光《げつくわう》は青に照せり。
参宮《さんぐう》の衆《しゆう》にかあらむ、旅《たび》びとの
二人《ふたり》三人《みたり》はさきのほどひそかに過《す》ぎぬ。
貸《かし》旅籠《はたご》札《ふだ》のみ白き壁つづき
ほとほと[#「ほとほと」に傍点]遠く、物ごゑの夜風《よかぜ》に消えて、
今ははた数《かず》添《そ》はりゆく星くづの
天《そら》なる調《しらべ》やはらかに、地は闌《ふ》けまさる。

時になほ街《まち》はづれなる老舗《しにせ》の戸
少し明《あか》りて火は路《みち》へひとすぢ射《さ》しぬ。
行燈《あんどう》のかげには清き女《め》の童《わらは》物縫《ものぬ》ふけはひ、
そがなかにたわやの一人《ひとり》髪あげて
戸外《とのも》すかしぬ。――事もなき夜《よ》のしづけさに。


  朝

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