く戸を押せど、はては敲《たた》けど、
色濁る扉《とびら》はあかず。
室《むろ》の内《うち》暑く悒鬱《いぶせ》く、またさらに嬰児《みどりご》笑ふ。
かくて、はた、硝子《がらす》のなかのすすりなき
蝋《らふ》のあかりの夜《よ》を待たず尽きなむ時よ。
あはれ、また母の愁《うれひ》の恐怖《おそれ》とならむそのみぎり。
あはれ、子はひたに聴き入る、
珍《めづ》らなるいとも可笑《をか》しきちやるめらの外《そと》の一節《ひとふし》。
[#地付き]四十一年六月
鉛の室
いんき[#「いんき」に傍点]は赤し。――さいへ、見よ、室《むろ》の腐蝕《ふしよく》に
うちにじみ倦《うん》じつつゆくわがおもひ、
暮春《ぼしゆん》の午後《ごご》をそこはかと朱《しゆ》をば引《ひ》けども。
油じむ末黒《すぐろ》の文字《もじ》のいくつらね
悲しともなく誦《ず》しゆけど、響《ひび》らぐ声《こゑ》は
※[#「金+肅」、第3水準1−93−39]《さ》びてゆく鉛《なまり》の悔《くやみ》、しかすがに、
強《つよ》き薫《くゆり》のなやましさ、鉛《なまり》の室《むろ》は
くわとばかり火酒《ウオツカ》のごとき噎《むせ》びして
壁の湿潤《しめり》を玻璃《はり》に蒸す光の痛《いた》さ。
力《ちから》なき活字《くわつじ》ひろひの淫《たは》れ歌《うた》、
病《や》める機械《きかい》の羽《は》たたきにあるは沁み来《こ》し
新《あた》らしき紙の刷《す》られの香《か》も消《き》ゆる。
いんき[#「いんき」に傍点]や尽きむ。――はやもわがこころのそこに
聴くはただ饐《す》えに饐《す》えゆく匂《にほひ》のみ、――
はた、滓《をり》よどむ壺《つぼ》を見よ。つとこそ一人《ひとり》、
手を棚《たな》へ延《の》すより早く、とくとくと、
赤き硝子《がらす》のいんき[#「いんき」に傍点]罎《びん》傾《かた》むけそそぐ
一刹那《いつせつな》、壺《つぼ》にあふるる火のゆらぎ。
さと燃《も》えあがる間《ま》こそあれ、飜《かへ》ると見れば
手に平《ひら》む吸取紙《すひとりがみ》の骸色《かばねいろ》
爛《ただ》れぬ――あなや、血はしと[#「しと」に傍点]、と卓《しよく》に滴《したた》る。
[#地付き]四十年九月
真昼
日は真昼《まひる》――野づかさの、寂寥《せきれう》の心《しん》の臓《ざう》にか、
ただひとつ声もなく照りかへ
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