まざあ・ぐうす
北原白秋訳

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)空を翔《か》けったり

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)道化|芝居《しばい》の

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)お上※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょうろう》

*:注釈記号
 (底本では、直後の文字の右横に、ルビのように付く)
(例)道化の*ハアレクインにはやがわり。
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目次

日本の子供たちに
はしがき

序詩
マザア・グウスの歌

まざあ・ぐうす
こまどりのお葬式
お月夜
天竺ねずみのちびすけ
木のぼりのおさる
くるみ
ボンベイのふとっちょ
六ペンスの歌
一時

朝焼け夕焼け
風がふきゃ
文なし
ファウスト国手
とことこ床屋さん
おくつの中に
一つの石に
コオル老王
雨、雨、いっちまえ
花壇にぶた
日の照り雨
いばらのかげに
セント・クレメンツの鐘
おうまのり
小径にむすめ
月の中の人
十人のくろんぼの子供
お月さまの中のおひとが
クリスマスがきますわい
べああ、べああ、ブラック・シイプ
ろうそく
ちっちゃなテイ・ウイ
三月、風よ
お面もち
ししと一角獣
くつやさん
きれいなくびまき
何人何びき何ぶくろ
のむもの
ちびねこ、さんねこ
雨もよう
ポウリイ、やかんを
南瓜ずき
ぼう、うぉう、うぉう
三百屋
お釘がへれば
二十四人の仕立屋
ででむし角だせ
お針みつけたら
風よ、ふけ、ふけ
気軽な粉屋
いなかっぺえ
おかごのばあさん
すっとんきょうな南京さん
鼻まがり
あの丘のふもとに
あたいのめうし
ゆりかごうた
こびっちょの子供は
ねんねこうた
はしっこいジャック
ででむし、でむし
一列こぞって
ででむし
おりこうさん
おしゃべり
ハアトのクイン
コケコッコおどり
でんでんむしむし
おばあさんとむすこ
てんとうむし
あったかいパン
ゴットハムの三りこう
気ちがい家族
ちっちゃなだんなさま
一つのたるに
ジャックとジル
トムトムぼうず
いぬはぼうおう
ちいさなおじょっちゃん
やぶ医者
きれいずきのおかみさん
御婚礼
タッフィ
ばばァ牛
とっぴょくりん
卵うりましょうと
かささぎが一羽よ
これ、これ、こいきな
市場へ、市場へ
数学

五月のみつばち
朝のかすみ
かっこ鳥
豆こぞう
ソロモン・グランディ
かえるの殿御
一切空
ロンドン橋
世界じゅうの海が
空はじめじめ
アアサア王
がぶがぶ、むしゃむしゃ
天竺ねずみは
ジャック・スプラットと
背骨まがり
おらがお父は
ねこと王さま
がァがァ、がちょう
火の中に
火ばしの一対
お月さま光る
おもちゃのうま
なけなけ
北風ふけば
めくら鬼
お山の大将
上へいった
みんなして森へ
このぶた、ちびすけ
おくつをはかしょ
ながい尾のぶたに
あァがった、あがった
ワン、ツウ、スリイ、フォア、ファイブ
顔あそび
このベル

一番目のお床
おしまい

巻末に
[#改丁]

[#ここから2字下げ、ページの左右中央に]
日本の子供たちに
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 はしがき

 お母さんがちょうのマザア・グウスはきれいな青い空の上に住んでいて、大きな美しいがちょうの背中にのってその空を翔《か》けったり、月の世界の人たちのつい近くをひょうひょうと雪のようにあかるくとんでいるのだそうです。マザア・グウスのおばあさんがそのがちょうの白い羽根をむしると、その羽根がやはり雪のようにひらひらと、地の上に舞《も》うてきて、おちる、すぐにその一つ一つが白い紙になって、その紙には子供たちのなによりよろこぶ子供のお唄が書いてあるので、イギリスの子供たちのお母さんがたはこれを子供たちにいつも読んできかしてくだすったのだそうです。いまでもそうだろうと思います。それでそのお話をお母さんからうかがったり、そのお唄を夢のようにうたっていただいたりするイギリスの子供たちは、どんなにあの金《きん》の卵をうむがちょうや、マザア・グウスのおばあさんをしたわしく思うかわかりません。
 ですが、ほんとうをいえば、そのマザア・グウスはやはりわたくしたちと同じこの世界に住んでいた人でした。べつにお月さまのお隣の空にいた人ではありません。子供がすきな、そうして、ちょうどあのがちょうが金《きん》の卵でもうむように、ぼっとりぼっとりとこの御本の中にあるような美しい子供のお唄を子供たちの間におとしてゆかれたのでした。ありがたいお母さんがちょうではありませんか。
 そのグウスというおばあさんはいまから二百年ばかり前に、その当時英国の植民地であった北アメリカにうまれたかたでした。そのおばあさんに一人のちっちゃなまご息子《むすこ》がありました。おばあさんはそのまご息子がかわゆくてならなかったものですから、その子をよろこばせるためにその子のよろこぶような、そうしてその子の罪のない美しいお夢をまだまだかわいいきれいな深みのあるものにしてやりたいのでした。それでいろいろなおもしろいお唄をしぜんと自分でつくりだすようになりました。やっぱりその子がかわいかったのですね。
 それも初めはただなんということなしに節をつけておはなししたり、うたったりしたものでしょうが、そうしたものはどうしても忘れやすいものですから、また覚え書きに書きとめておくようになりました。そうなるとまた、そうして書きとめておいたのが一つふえ二つふえしていつかしら一冊の御本にまとまるようになったのでしょう。
 そのおばあさんの養子にトオマス・フリイトという人がありました。この人は印刷屋さんでした。で、そのお母さんが自分の息子のためにうたってくだすった、そうしたありがたいお唄を刷《す》って、自分の息子ばかりでなく、ほかのたくさんの子供たちをよろこばしてやりたいと思ったのでした。それでこのマザア・グウスの童謡の御本がはじめて刷られて、ひろく世間によまれるようになりました。それは西洋暦の千七百十九年という年で、時のイギリスの王さまはジョウジ一世ともうされるおかたでした。
 で、このマザア・グウスの童謡はずいぶんと古いものです。古いものですけれど、いつまでたっても新しい。ほんとにいいものはいつまでたっても昔のままに新しいものです。考えてみてもその御本がでてから、イギリスの子供たちはどんなにしあわせになったかわかりません。その子供たちがおとなになり、またつぎからつぎにかわいい子供たちがうまれてきて、またつぎからつぎにこのお母さんがちょうのねんねこ唄をうたって大きくなってゆくのです。それにこの御本がでてからしあわせにされたのはそのイギリスの子供ばかりではありません。イギリスのことばをつかっている国々の子供はむろんのことですが、世界じゅうのいろいろな国のことばに訳されていますので、そうした国々の子供たちもみんなしあわせにされているはずです。それにいろいろ作曲されて、ずいぶんひろくうたわれているようです。ですから、赤いくちばしと赤い水かきとをもったがちょうのおばあさんがおいすに腰かけて、おなじような赤いちっちゃなくちばしと赤いちっちゃな水かきとをもったちっちゃながちょうをおひざにのっけて、赤い御本をひらいている画《え》のついた表紙のや、三角帽《さんかくぼう》のリボンに鵞《が》ペンをさしたおばあさんがテエブルの前に腰をかけて、なにか書いていると、そのそばから大きながちょうがくちばしをあけて、針の頭のように眼《め》をちっちゃくしてのぞきこんでいる画のや、がちょうとおばあさんが空を翔《か》けているのや、緑色《みどりいろ》の牧草《まきぐさ》の中に金の卵をおとしている白いめんどりのがちょうのや、いろんな本がでています。
 日本ではこのわたしのが初めてです。日本の子供たちのために、わたしはこのお母さんがちょうを日本の空の上にきてもらいました。そうして空からひらひらとその唄のついたがちょうの羽根をちらしてもらったのでした。その羽根にかいてある字はイギリスの字ですから、わたしは桃色のお月さまの光でひとつひとつすかしてみて、それを日本のことばになおして、あなたがた、日本のかわいい子供たちにうたってあげるのです。そしてみんなうたえるようにうたいながら書きなおしたのですからみんなうたえます。うたってごらんなさい。ずいぶんおもしろいから。
 その童謡の中には、青い萌黄色《もえぎいろ》の月の夜《よ》のお月さまをとびこえるめうしのダンスや、紅《あか》い胸のこまどりが死んで白嘴《しらはし》がらすがお経をよむのや、王さまの前のパイのお皿からうたいだす二十四匹の黒つぐみや、「パンにおせんべい」とうなるロンドンのお寺の鐘や、おうちが大火事でプッジングのおなべの下にもぐりこむてんとうむしのむすめや、赤いにしんにのまれるくろんぼうの子供や、かごにのって青天井《あおてんじょう》のすすはきしにお月さまより高くのぼるおばあさん、おくつの中に子供をどっさりいれてしまつにこまるおばあさん、挽割麦《ひきわりむぎ》を三斤《さんぎん》ぬすんでお菓子をこさえる王さまや、拇指《おやゆび》よりもちいさな豆つぶのだんなさま、赤いおわんにのって海へでるおりこうさん、気ちがいうまにのってめちゃくちゃにかけてゆく気ちがいの親子、そうした、それはもうどんなに不思議で美しくて、おかしくて、ばかばかしくて、おもしろくて、なさけなくて、おこりたくて、わらいたくて、うたいたくなるか、ほんとにゆっくりとよんで、そうしてあなたがたも今までよりもずっとかわったお月夜の空や朝焼け夕焼けの色どりを心にとめて、いつも美しいあなたがたのお夢を深めてくださるよう。そうならわたしはどんなにうれしいかわかりません。
 この本の中の童謡はおもにそのマザア・グウスから訳したのですが、そのほかにもイギリスやアメリカの子供のうたっているので違ったのがたくさんつけたしてあります。いろんな指あそびや、顔あそび、めくら鬼、はしご段あそびなど、日本のとちがった遊戯唄をおしまいのほうにのせてみました。皆さんでひとつやってくださるとうれしいと思います。
 これからもまだいろんなものを皆さんのために書いてお贈りしたいと思っていますが、わたしもこれからほんとに念をいれて、がちょうが金の卵をうみ落とすように、ほんとにいい童謡をぽつりぽつりと落としてゆきたいと思います。
 では、どうぞ、この本の初めにあるその金の卵の歌からよんでいってください。するときっとがちょうがあなたがたを背中にのせて、高い高いお月さまのそばまで翔《か》けてゆくでしょう。

[#天から2字下げ]大正十年九月
[#地から6字上げ]木兎《みみずく》の家にて
[#地から1字上げ]白秋しるす
[#改丁]

[#ここから2字下げ、ページの左右中央に]
序詩
[#ここで字下げ終わり]
[#改ページ]

 マザア・グウスの歌

マザア・グウスのおばあさん、
いつもであるくそのときは、
きれいながちょうの背にのって、
空をひょうひょう翔《か》けてゆく。

マザア・グウスのすむ家《いえ》は、
一つ、ちんまり、森の中、
戸口にゃ一羽の梟《ごろすけ》が
みはりするのでたっている。

むすこがひとりで名はジャック、
その子まずまずお人よし、
ずんとよいことせぬ代わり、
ずるいわるさもようしえぬ。

市場《いちば》へジャックをやったれば、
めすのがちょうを買ってくる、
「まあまあ、お母さん、みておいで、
そのうちいいこともあるでしょよ」

それからがちょうのめすとおす
なかよしこよしであそんでる。
いつもいっしょに餌《え》をたべて、
ガアガア、お池におよいでる。

ある朝、ジャックがいってみりゃ、
(ほんに話によくきいた)
金の卵がありまする。
うんでくれたはめすがちょう。

金の卵だ、はよ告《つ》げよ、
ジャックはお母さんへとんでゆく。
お母さんもほくほくごきげんだ。
「それはよかった、おおできじゃ」


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