伝えを素直に受納れて疑わなかったのであろう。そこで自分は恋愛歌の古い一種としてこれを選んで吟誦するのである。他の三首も皆佳作で棄てがたい。
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君が行日《ゆきけ》長《なが》くなりぬ山|尋《たづ》ね迎へか行かむ待ちにか待たむ (巻二・八五)
斯くばかり恋ひつつあらずは高山《たかやま》の磐根《いはね》し枕《ま》きて死なましものを (同・八六)
在りつつも君をば待たむうち靡《なび》く吾が黒髪に霜の置くまでに (同・八七)
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 八五の歌は、憶良の類聚歌林に斯く載ったが、古事記には軽太子《かるのひつぎのみこ》が伊豫の湯に流された時、軽の大郎女《おおいらつめ》(衣通《そとおり》王)の歌ったもので「君が行日長くなりぬ山たづの迎へを行かむ待つには待たじ」となって居り、第三句は枕詞に使っていて、この方が調べが古い。八六の「恋ひつつあらずは」は、「恋ひつつあらず」に、詠歎の「は」の添わったもので、「恋ひつつあらずして」といって、それに満足せずに先きの希求をこめた云い方である。それだから、散文に直せば、従来の解釈のように、「……あらんよりは」というのに帰着する。

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