句で、「朝踏ますらむ」と流動的に据えて、小休止となり、結句で二たび起して重厚荘潔なる名詞止にしている。この名詞の結句にふかい感情がこもり余響が長いのである。作歌当時は言語が極《きわ》めて容易に自然にこだわりなく運ばれたとおもうが、後代の私等には驚くべき力量として迫って来るし、「その」などという続けざまでも言語の妙いうべからざるものがある。長歌といいこの反歌といい、万葉集中最高峰の一つとして敬うべく尊むべきものだとおもうのである。
この長歌は、「やすみしし吾《わが》大王《おほきみ》の、朝《あした》にはとり撫《な》でたまひ、夕《ゆふべ》にはい倚《よ》り立たしし、御執《みと》らしの梓弓《あずさのゆみ》の、長弭《ながはず》(中弭《なかはず》)の音すなり、朝猟《あさかり》に今立たすらし、暮猟《ゆふかり》に今立たすらし、御執《みと》らしの梓弓の、長弭(中弭)の音すなり」(巻一・三)というのである。これも流動声調で、繰返しによって進行せしめている点は驚くべきほど優秀である。朝猟夕猟と云ったのは、声調のためであるが、実は、朝猟も夕猟もその時なされたと解することも出来るし、支那の古詩にもこの朝猟夕猟と
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