すな、わたくしも皇祖神の命により、いつでも御名代になれますものでございますから、というので、「吾」は皇女御自身をさす。御製歌といい御答歌といい、まことに緊張した境界で、恋愛歌などとは違った大きなところを感得しうるのである。個人を超えた集団、国家的の緊張した心の世界である。御製歌のすぐれておいでになるのは申すもかしこいが、御姉君にあらせられる皇女が、御妹君にあらせらるる天皇に、かくの如き御歌を奉られたというのは、後代の吾等拝誦してまさに感涙を流さねばならぬほどのものである。御妹君におむかい、「吾が大王ものな思ほし」といわれるのは、御妹君は一天万乗の現神《あきつかみ》の天皇にましますからである。
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飛《と》ぶ鳥《とり》の明日香《あすか》の里《さと》を置《お》きて去《い》なば君《きみ》が辺《あたり》は見《み》えずかもあらむ 〔巻一・七八〕 作者不詳
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元明天皇、和銅三年春二月、藤原宮から寧楽《なら》宮に御遷りになった時、御輿《みこし》を長屋原《ながやのはら》(山辺郡長屋)にとどめ、藤原京の方を望みたもうた。その時の
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