を統《す》べる将軍のことで、続紀に、和銅二年に蝦夷《えみし》を討った将軍は、巨勢麿《こせのまろ》、佐伯石湯《さへきのいわゆ》だから、御製の将軍もこの二人だろうといわれている。「楯たつ」は、楯は手楯でなくもっと大きく堅固なもので、それを立てならべること、即ち軍陣の調練をすることとなるのである。
どうしてこういうことを仰せられたか。これは軍の調練の音をお聞きになって、御心配になられたのであった。考に、「さて此御時みちのく越後の蝦夷《エミシ》らが叛《ソム》きぬれば、うての使を遣さる、その御軍《みいくさ》の手ならしを京にてあるに、鼓吹のこゑ鞆の音など(弓弦のともにあたりて鳴音也)かしかましきを聞し召て、御位の初めに事有《ことある》をなげきおもほす御心より、かくはよみませしなるべし。此|大御哥《おほみうた》にさる事までは聞えねど、次の御こたへ哥と合せてしるき也」とある。
御答歌というのは、御名部皇女《みなべのひめみこ》で、皇女は天皇の御姉にあたらせられる。「吾が大王《おほきみ》ものな思ほし皇神《すめかみ》の嗣《つ》ぎて賜へる吾無けなくに」(巻一・七七)という御答歌で、陛下よどうぞ御心配あそば
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