しまうのだが、併しそのために此歌の価値の下落することがない。その当時は名は著しくない従駕の人でも、このくらいの歌を作ったのは実に驚くべきである。「ながらふるつま吹く風の寒き夜にわが背の君はひとりか寝《ね》らむ」(巻一・五九)も選出したのであったが、歌数の制限のために、此処に附記するにとどめた。

           ○

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ますらをの鞆《とも》の音《おと》すなりもののふの大臣《おほまへつぎみ》楯《たて》立《た》つらしも 〔巻一・七六〕 元明天皇
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 和銅元年、元明《げんめい》天皇御製歌である。寧楽《なら》宮遷都は和銅三年だから、和銅元年には天皇はいまだ藤原宮においでになった。即ち和銅元年は御即位になった年である。
 一首の意は、兵士等の鞆の音が今しきりにしている。将軍が兵の調練をして居ると見えるが、何か事でもあるのであろうか、というのである。「鞆」は皮製の円形のもので、左の肘《ひじ》につけて弓を射たときの弓弦の反動を受ける、その時に音がするので多勢のおこすその鞆の音が女帝の御耳に達したものであろう。「もののふの大臣《おほまへつぎみ》」は軍
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