霍公鳥《ほととぎす》汝が啼く毎に亡き人おもほゆ」(巻十・一九五六)という歌の、「啼きてか来らむ」も、大和の方へ行くだろうというので、大和の方へ親しんで啼いて行く意となる。なお、「吾が恋を夫《つま》は知れるを行く船の過ぎて来《く》べしや言《こと》も告げなむ」(巻十・一九九八)の「来べしや」も「行くべしや」の意、「霞ゐる富士の山傍《やまび》に我が来《き》なば何方《いづち》向きてか妹が嘆かむ」(巻十四・三三五七)の、「我が来なば」も、「我が行かば」という意になるのである。

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み吉野《よしぬ》の山《やま》のあらしの寒《さむ》けくにはたや今夜《こよひ》も我《わ》がひとり寝《ね》む 〔巻一・七四〕 作者不詳
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 大行天皇《さきのすめらみこと》(文武)が吉野に行幸したもうた時、従駕の人の作った歌である。「はたや」は、「またも」に似てそれよりも詠歎が強い。この歌は、何の妙も無く、ただ順直にいい下しているのだが、情の純なるがために人の心を動かすに足るのである。この種の声調のものは分かり易いために、模倣歌を出だし、遂に平凡になって
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