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いざ子《こ》どもはやく日本《やまと》へ大伴《おほとも》の御津《みつ》の浜松《はままつ》待《ま》ち恋《こ》ひぬらむ 〔巻一・六三〕 山上憶良
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 山上憶良《やまのうえのおくら》が大唐《もろこし》にいたとき、本郷《ふるさと》(日本)を憶って作った歌である。憶良は文武天皇の大宝元年、遣唐大使|粟田真人《あわたのまひと》に少録として従い入唐し、慶雲元年秋七月に帰朝したから、この歌は帰りの出帆近いころに作ったもののようである。「大伴」は難波の辺一帯の地域の名で、もと大伴氏の領地であったからであろう。「大伴の高師の浜の松が根を」(巻一・六六)とあるのも、大伴の地にある高師の浜というのである。「御津」は難波の湊《みなと》のことである。そしてもっとくわしくいえば難波津よりも住吉津即ち堺であろうといわれている。
 一首の意は、さあ皆のものどもよ、早く日本へ帰ろう、大伴の御津の浜のあの松原も、吾々を待ちこがれているだろうから、というのである。やはり憶良の歌に、「大伴の御津の松原かき掃きて吾《われ》立ち待たむ早帰りませ」(巻五・八九五)があり、なお、「朝なぎに真
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