字」につき、「御字なきは転写のとき脱せる歟《か》。但天皇に献り給ふ故に、献御歌とはかゝざる歟《か》なるべし」(僻案抄《へきあんしょう》)、「御歌としるさざるは、此は天皇に対し奉る所なるから、殊更に御[#(ノ)]字をばかゝざりしならんか」(美夫君志《みぶくし》)等の説をも参考とすることが出来る。
それから、攷證《こうしょう》で、「この歌もし中皇命の御歌ならば、そを奉らせ給ふを取次せし人の名を、ことさらにかくべきよしなきをや」と云って、間人連老の作だという説に賛成しているが、これも、老《おゆ》が普通の使者でなくもっと中皇命との関係の深いことを示すので、特にその名を書いたと見れば解釈がつき、必ずしも作者とせずとも済むのである。考の別記に、「御歌を奉らせ給ふも老は御乳母の子などにて御|睦《むつまじ》き故としらる」とあるのは、事実は問わずとも、その思考の方嚮《ほうこう》には間違は無かろうとおもう。諸注のうち、二説の分布状態は次の如くである。中皇命作説(僻案抄・考・略解《りゃくげ》・燈《ともしび》・檜嬬手《ひのつまで》・美夫君志・左千夫新釈・講義)、間人連老作説(拾穂抄《しゅうすいしょう》・代匠
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