人連老」とあるその人であろう。次に作者は中皇命か間人連老か両説あるが、これは中皇命の御歌であろう。縦《よ》しんば間人連老の作という仮定をゆるすとしても中皇命の御心を以て作ったということになる。間人連老の作だとする説は、題詞に「御歌」となくしてただ「歌」とあるがためだというのであるが、これは編輯《へんしゅう》当時既に「御」を脱していたのであろう。考《こう》に、「御字を補ひつ」と云ったのは恣《ほしいまま》に過ぎた観があっても或《あるい》は真相を伝えたものかも知れない。「中大兄三山歌」(巻一・一三)でも「御」の字が無い。然るにこの三山歌は目録には「中大兄三山御歌」と「御」が入っているに就き、代匠記には「中大兄ハ天智天皇ナレバ尊《みこと》トカ皇子《みこ》トカ有《あり》ヌベキニヤ。傍例ニヨルニ尤《もっとも》有《ある》ベシ。三山ノ下ニ目録ニハ御ノ字アリ。脱セルカ」と云っている如く、古くから本文に「御」字の無い例がある。そして、「万葉集はその原本の儘《まま》に伝はり、改刪《かいさん》を経ざるものなるを思ふべし」(講義)を顧慮すると、目録の方の「御」は目録作製の時につけたものとも取れる。なお、この「御
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