古来秀歌として鑑賞せられたのは万葉集の歌としては分かり好く口調も好いからであったが、そこに特色もあり、消極的方面もまたそこにあると謂っていいであろうか。併しそれでも古今集以下の歌などと違って、厚みのあるところ、名張山という現実を持って来たところ等に注意すべきである。
 この歌は、巻四(五一一)に重出しているし、又集中、「後れゐて吾が恋ひ居れば白雲《しらくも》の棚引く山を今日か越ゆらむ」(巻九・一六八一)、「たまがつま島熊山の夕暮にひとりか君が山路越ゆらむ」(巻十二・三一九三)、「息《いき》の緒《を》に吾が思《も》ふ君は鶏《とり》が鳴く東《あづま》の坂を今日か越ゆらむ」(同・三一九四)等、結句の同じものがあるのは注意すべきである。

           ○

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阿騎《あき》の野《ぬ》に宿《やど》る旅人《たびびと》うちなびき寐《い》も寝《ぬ》らめやも古《いにしへ》おもふに 〔巻一・四六〕 柿本人麿
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 軽皇子《かるのみこ》が阿騎野(宇陀郡松山町附近の野)に宿られて、御父|日並知皇子《ひなみしのみこ》(草壁皇子)を追憶せられた。その時人麿の作っ
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