いのは、古の世の人だからであろうかと、疑うが如くに感傷したのである。この主観句は、相当によいので棄て難いところがある。なお、巻三(三〇五)に、高市連黒人の、「斯《か》くゆゑに見じといふものを楽浪《ささなみ》の旧き都を見せつつもとな」があって、やはり上の句が主観的である。けれども、此等の主観句は、切実なるが如くにして切実に響かないのは何故であるか。これは人麿ほどの心熱が無いということにもなるのである。

           ○

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山川《やまかは》もよりて奉《つか》ふる神《かむ》ながらたぎつ河内《かふち》に船出《ふなで》するかも 〔巻一・三九〕 柿本人麿
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 持統天皇の吉野行幸の時、従駕《じゅうが》した人麿の献《たてまつ》ったものである。持統天皇の吉野行幸は前後三十二回(御在位中三十一回御譲位後一回)であるが、万葉集年表(土屋文明氏)では、五年春夏の交《こう》だろうと云っている。さすれば人麿の想像年齢二十九歳位であろうか。
 一首の意は、山の神(山祇《やまつみ》)も川の神(河伯《かわのかみ》)も、もろ共に寄り来って仕え奉る、現神《あきつがみ
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