》として神そのままに、わが天皇は、この吉野の川の滝《たぎ》の河内《かふち》に、群臣と共に船出したもう、というのである。
「滝《たぎ》つ河内《かふち》」は、今の宮滝《みやたき》附近の吉野川で、水が強く廻流している地勢である。人麿は此歌を作るのに、謹んで緊張しているから、自然歌調も大きく荘厳なものになった。上半は形式的に響くが、人麿自身にとっては本気で全身的であった。そして、「滝つ河内」という現実をも免《のが》していないものである。一首の諧調音を分析すれば不思議にも加行の開口音があったりして、種々勉強になる歌である。先師伊藤左千夫先生は、「神も人も相和して遊ぶ尊き御代の有様である」(万葉集新釈)と評せられたが、まさしく其通りである。第二句、原文「因而奉流」をヨリテ・ツカフルと訓んだが、ヨリテ・マツレルという訓もある。併しマツレルでは調《しらべ》が悪い。結句、原文、「船出為加母」は、フナデ・セスカモと敬語に訓んだのもある。
 補記、近時土屋文明氏は「滝つ河内」はもっと下流の、下市《しもいち》町を中心とした越部、六田あたりだろうと考証した。

           ○

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