べきである。作は人麿としては初期のものらしいが、既にかくの如く円熟して居る。
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ささなみの志賀《しが》の大曲《おほわだ》よどむとも昔《むかし》の人《ひと》に亦《また》も逢はめやも 〔巻一・三一〕 柿本人麿
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右と同時に人麿の作ったもので、一首は、近江の湖水の大きく入り込んだ処、即ち大曲《おおわだ》の水が人恋しがって、人懐かしく、淀《よど》んでいるけれども、もはやその大宮人等に逢うことが出来ない、というのである。大津の京に関係あった湖水の一部の、大曲の水が現在、人待ち顔に淀んでいる趣である。然るに、「オホワダ」をば大海《おおわだ》即ち近江の湖水全体と解し、湖の水が勢多《せた》から宇治に流れているのを、それが停滞して流れなくなるとも、というのが、即ち「ヨドムトモ」であると仮定的に解釈する説(燈)があるが、それは通俗|理窟《りくつ》で、人麿の歌にはそういう通俗理窟で解けない歌句が間々あることを知らねばならぬ。ここの「淀むとも」には現在の実感がもっと活《い》きているのである。
この歌も感慨を籠めたもので、寧ろ主観的
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