りだろうという説が有力で、近江の都の範囲は、其処から南へも延び、西は比叡山麓、東は湖畔|迄《まで》至っていたもののようである。此歌は持統三年頃、人麿二十七歳ぐらいの作と想像している。「ささなみ」(楽浪)は近江滋賀郡から高島郡にかけ湖西一帯の地をひろく称した地名であるが、この頃には既に形式化せられている。
一首は、楽浪《ささなみ》の志賀の辛崎は元の如く何の変《かわり》はないが、大宮所も荒れ果てたし、むかし船遊をした大宮人も居なくなった。それゆえ、志賀の辛崎が、大宮人の船を幾ら待っていても待ち甲斐《がい》が無い、というのである。
「幸《さき》くあれど」は、平安無事で何の変はないけれどということだが、非情の辛崎をば、幾らか人間的に云ったものである。「船待ちかねつ」は、幾ら待っていても駄目だというのだから、これも人間的に云っている。歌調からいえば、第三句は字余りで、結句は四三調に緊《し》まっている。全体が切実沈痛で、一点浮華の気をとどめて居らぬ。現代の吾等は、擬人法らしい表現に、陳腐《ちんぷ》を感じたり、反感を持ったりすることを止めて、一首全体の態度なり気魄《きはく》なりに同化せんことを努む
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