一つの境界《きょうがい》であるだろう。特に結句の、「月照りにけり」は、ただ一つ万葉にあって、それが家持の句だということもまた注目に値《あたい》するのである。
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巻第十八
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あぶら火《び》の光《ひかり》に見《み》ゆる我《わ》が縵《かづら》さ百合《ゆり》の花の笑《ゑ》まはしきかも 〔巻十八・四〇八六〕 大伴家持
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天平感宝《てんぴょうかんぽう》元年五月九日、越中国府の諸官吏が、少目《さかん》の秦伊美吉石竹《はたのいみきいわたけ》の官舎で宴を開いたとき、主人の石竹が百合の花を鬘《かずら》に造って、豆器《ずき》という食器の上にそれを載せて、客人に頒《わか》った。その時大伴家持の作った歌である。結句の、「笑まはしきかも」は、美しく楽しくて微笑せしめられる趣である。美しい百合花をあらわすのに、感覚的にいうのも家持の一特徴だが、「あぶら火の光に見ゆる」と云ったのは、流石《さすが》に家持の物を捉える力量を示すものである。「我が縵《かづら》」といったのは、自分の分として頂戴《ちょうだい》した縵という意味である。
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