になるまでということで簡潔ないい方《かた》である。「貴くもあるか」は、貴く畏《かしこ》くありがたいというので、自身を貴く感ずるというのはやがて大君を貴み奉るその結果となるので、これも特有のいい方である。この歌は、謹んで作っているので、重厚なひびきがあり、結句の「貴くもあるか」が一首の中心句をなして居る。この時、紀朝臣清人《きのあそみきよひと》は、「天の下すでに覆《おほ》ひて降る雪の光を見れば貴くもあるか」(巻十七・三九二三)を作り、紀朝臣|男梶《おかじ》は、「山の峡《かひ》そことも見えず一昨日《をとつひ》も昨日も今日も雪の降れれば」(同・三九二四)を作り、大伴家持は、「大宮の内にも外《と》にも光るまで零《ふ》らす白雪見れど飽かぬかも」(同・三九二六)を作って居る。

           ○

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たまくしげ二上山《ふたがみやま》に鳴《な》く鳥《とり》の声《こゑ》の恋《こひ》しき時《とき》は来《き》にけり 〔巻十七・三九八七〕 大伴家持
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 大伴家持は、天平十九年春三月三十日、二上山の賦《ふ》一首を作った、その反歌である。この二上山は越中|射
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