なゆめ」(同・三七〇二)という歌を作って居り、対馬娘子《つしまのおとめ》、玉槻《たまつき》という者が、「もみぢ葉の散らふ山辺《やまべ》ゆ榜《こ》ぐ船のにほひに愛《め》でて出でて来にけり」(同・三七〇四)という歌を作ったりしている。天平八年夏六月、武庫浦《むこのうら》を出帆したのが、対馬《つしま》に来るともう黄葉が真赤に見える頃になっている。彼等が月光を詠じ黄葉を詠じているのは、単に歌の上の詩的表現のみでなったことが分かる。対馬でこの玉槻という遊行女婦《うかれめ》などは唯一の慰めであったのかも知れない。この一行のある者は帰途に病み、大使継麿のごときは病歿している。また新羅との政治的関係も好ましくない切迫した背景もあって注意すべき一聯《いちれん》の歌である。帰途に、「天雲のたゆたひ来れば九月《ながつき》の黄葉《もみぢ》の山もうつろひにけり」(同・三七一六)、「大伴の御津《みつ》の泊《とまり》に船|泊《は》てて立田の山を何時か越え往《い》かむ」(同・三七二二)などという歌を作って居る。
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あしひきの山路《やまぢ》越《こ》えむとする君《きみ》
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