うということになる。「明日きせざめや」を契沖は、「明日着セザラメヤ」と解《と》いたが、それよりも「明日来せざらめや也。明日来といふは、凡《すべ》て月日の事を来歴《きへ》ゆくと言ひて、明日の日の来る事也」という略解《りゃくげ》(宣長説)の穏当を取るべきであろう。これも田園民謡で、直接法をしきりに用いているのがおもしろく、特に結句の「いざ・せ・小床に」というのはただの七音の中にこれだけ詰めこんで、調子を破らないのは、なかなか旨《うま》いものである。

           ○

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児《こ》もち山若《やまわか》かへるでの黄葉《もみづ》まで寝《ね》もと吾《わ》は思《も》ふ汝《な》は何《あ》どか思《も》ふ 〔巻十四・三四九四〕 東歌
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「児持山」は伊香保温泉からも見える山で、渋川町の北方に聳《そび》えている。一首は、あの子持山の春の楓《かえで》の若葉が、秋になって黄葉《もみじ》するまでも、お前と一しょに寝ようと思うが、お前はどうおもう、というので、誇張するというのは既に親しんでいる証拠でもあり、その親しみが露骨でもあるから、一般化し得る特色を有《も》
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