で、歌う者はそれよりも身分の賤《いや》しい農婦として使われている者か、或は村里の娘たちという種類の趣《おもむき》である。一首の意は、稲を舂《つ》いてこんなに皹《ひび》の切れた私の手をば、今夜も殿の若君が取られて、可哀そうだとおっしゃることでしょう、御一しょになる時にお恥しい心持もするという余情がこもっている。内容が斯《か》く稍《やや》戯曲的であるから、いろいろ敷衍《ふえん》して解釈しがちであるが、これも農民のあいだに行われた労働歌の一種で、農婦等がこぞってうたうのに適したものである。それだから「殿の若子《わくご》」も、この「我が手」の主人も、誰《たれ》であってもかまわぬのである。ただこの歌には、身分のいい青年に接近している若い農小婦の純粋なつつましい語気が聞かれるので、それで吾々は感にたえぬ程になるのだが、よく味えばやはり一般民謡の特質に触れるのである。併しこれだけの民謡を生んだのは、まさに世界第一流の民謡国だという証拠《しょうこ》である。なおこの巻に、「都武賀野《つむがぬ》に鈴が音《おと》きこゆ上志太《かむしだ》の殿の仲子《なかち》し鳥狩《とがり》すらしも」(三四三八)というのがあっ
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