言葉なら、「宙を飛んで来た」ぐらいになる。巻十二(二九五〇)に、「吾妹子が夜戸出《よとで》の光儀《すがた》見てしよりこころ空《そら》なり地《つち》は踏めども」も、足が地に着かず、宙を歩いているような気持をあらわしている。
 こういう歌は、当時の人々は楽々と作り、快く相伝えていたものとおもうが、現在の吾々は、ただそれを珍らしいと思うばかりでなく、技巧的にもひどく感心するのである。小楢の若葉の日光に透きとおるような柔かさと、女の膚膩《ふじ》の健康な血をとおしている具合とを合体せしめる感覚にも感心せしめられるし、「誰が笥か持たむ」という簡潔で、女の行為が男に接触する程な鮮明を保持せしめているいい方も、石も踏まずとことわって、さて虚空を飛んで来たという云い方も、一体何処にこういう技法力があるのだろうとおもう程である。ただもともと民謡だから、全体が軽妙に運ばれたもので、そこが個人的独詠歌などと違う点なのである。

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鈴《すず》が音《ね》の早馬駅《はゆまうまや》の堤井《つつみゐ》の水《みづ》をたまへな妹が直手《ただて》よ 〔巻十四・三四三九〕 東歌
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